2016年11月15日

息子、帽子を編む

オーマイガッ。息子、帽子を編んでしまいました。4日で。

息子は中学の放課後クラブの一つの「テク・クラブ」というのに参加していて、そこで、この編み物キットを作ったのです。そしてその編み物をキットと毛糸(父兄からの寄付)を家に持って帰ってきたのが先週の水曜日のこと。

その日から、暇さえあればこつこつと編み、編み、宿題をやってる合間に「気分転換」と言って編み、編み、「楽しい〜」と言って編み、編み、(先週の金曜日は休みだったんでかなりそこでかせげたんですが)土曜日に私がマンハッタンに一人で出掛けて帰宅したら、ほぼできていた!で、ポンポン作ってつけて完成してしまった!!

ずばり、我が子とは思えない。
息子も誇らしい&嬉しいようです。

(そのテク・クラブのプロジェクトとして参加してる子供がそれぞれ作って)ホームレスの人達にあげるんだそうです。次は私のを作ってくれるんだそうです。楽しみです(^^)

追記:

あの衝撃的な大統領選の翌日の朝(先週の水曜日)。息子は私に何度も聞いたのでございます。「なんで?なんで?ママ、なんで?」と。「なんでかな、ママも分からないから一緒に考えようか」と言うと、息子は「・・・ママ、今、ボク、何をしたらいい?」と聞いてきたのであります。私は「何をしたらいいいと思う?」と最初は返したのですが、息子は「・・・分かんない」と言うので、それで私は「今できることを一生懸命やりなさい。そして人にやさしくしなさい」と言ったのでありました。

で、その日、学校からその手作り編み物キットを持って帰ってきた息子は「ホームレスの人にあげるんだよ」と言って、編み編み編み編みし続けたのですが・・・

手を使って何かを作ることはもともととても好きなんだけど、息子、ひょっとして、自分で(そうとは知らずとも)編み物セラピーしたのか??と思ってしまった私って、ちょっと深読みしすぎでしょうか ^^a


posted by coach_izumi at 12:12| アメリカの生活

2016年11月04日

腹立だしいような情けないような哀しいようなおかしいような、そんなエピソードを思い出しては、父が恋しい、その不思議

母が亡くなった後、まあ父はぼろぼろで(てか、亡くなる前からわりとそんな感じだったけど)、実務的にも全く役に立たなかったというかなんというか(苦笑)、お葬式とか色々もろもろ、全部近しい親戚が仕切ってくれて、喪主の挨拶も私がした。「オマエがやった方が母さん喜ぶから」という父の言葉にさもありなんと思ったし(笑)、実際、父にはできなかったと思う(祖母・祖父の時のあいさつも、文字通り「一言」で、なんか、も、もうちょっとちゃんとやれば??という感じで、参列者から失笑が漏れたくらいであった)。

母が亡くなってお通夜・お葬式と続いたわけだが、父は「悲しくて悲しくて涙が止まらないさ」と言って嘆き、実務的なことは全くしなかったというか、まったくそっちにアタマが回っていなかった。はっきり言って「そこにいただけ」を通りこして、時に邪魔ですらあった。もちろん、一人娘の私はやること多すぎて泣くヒマもありませんでした。まあイイけど、とほほ。

しかし、初七日で実家にお坊さんや人様が来るからと一生懸命に一人で実家の掃除をしていた娘を全く手伝わないのは良いとしても、その間に自分の分だけカップラーメンを作って食べていたのにはさすがに「ちょ、ちょっとっっっ!私の分、作ってくれてもいいんじゃあ、ないのぉおお!?!?」とキレた(ちょうどお昼時で、でも食事を作る暇も食べる暇もなく掃除していてお腹がが空いていた)。食べ物の恨みは恐ろしいとはよく言ったもので、あの時の恨めしい気持ちは今も忘れない(笑)。妻が死のうがどんなに嘆き悲しかろうか、自分の分を作るついでに娘の分のカップラーメンくらい作れるだろうっちゅうの。

あれ?ひょっとして普通のよくできた娘はそういうことは思わずに、空腹をものともせずにカップラーメンになど見向きもせずに、もくもくと掃除をして父親をいたわり慰めるのだろうか。そうなのかもしれない。が、いかんせん、自己中レベルは実の父に負けない娘であるからして(そこは親子だから)。

母が亡くなった後も父とは離れて暮らしていたが(たとえ癌になっても死にそうになっても、父は私と一緒に住みたがらなかった。まあ、分かるけど)、一人になった父は「どうしちゃったの?」と思うくらい毎日お仏壇にお供え物をし水をあげていたようだ(父は元々そういうことを全くしない人だった)。

父は、母の人生の幸せだった部分を思い出して語ることもあったが、一方、母に対する数々の『後悔』をよく私に対して口にしていた。いわく。仕事でずっと山や飯場にいたから、母さんと一緒に暮らした時間がなんと少なかったことだろうか。会社を辞めるとき、反対された、きっと不安だったんだろう。金もなかったし大変だっただろう。北海道から茨城に連れて来て親や兄弟と離ればなれにさせてしまって寂しかっただろう。港で泣いてたもんな。母さんは小さい頃から苦労してて可哀想だった(小さい頃のことはあんまり父には関係ないことだと思うけど)エトセトラ、エトセトラ。

そういう父の「懺悔」を聞いていて思ったのは「ああ、お父さんてば、最後の最後までお母さんのこと、分かってなかったんだなあ」ってことだった(苦笑)。いや、あのね、お母さんのお父さんとの関係における苦労のポイントは、「そこ」じゃなかったと思うよ。お父さんのどういうところにお母さんが苦労してたか、ひょっとして全く分かってない??

分かってなかった(笑)。でも、まあ、それを指摘しても仕方が無いと思って、私は黙ってた。

そしてさらに、私は思っていた。

あのさ、今になって懺悔しても遅いって。死んでから謝ったってさ、労ったってさ、感謝したってさ、遅いって。生きてるうちじゃないと意味ないから。もう聞こえないよ。死んじゃってんだからさ。

そう言ってやりたい気持ちもあったが、今更そんなこと言っても可哀想だなと思って、私はやっぱり黙ってた。

ただ、「俺が代わりに死にたかった」と言うことがあった時は(よく言っていた)、「お父さん、それ、みんな思ってるから。順番が逆の方が良かったのに、ってみんな思ってるし、そっちの方がお父さんも幸せだったと思うけどさ、仕方ないじゃない。こうなっちゃったんだからさ。そういう順番は決められないんだよ」と言っといた。

結局、母が亡くなって3年後に、いわゆる後を追うようにとでも言うのか、父は亡くなった。配偶者が亡くなるとそのうちの何十パーセントが数年以内に亡くなるとか、そしてそれは男性が残された場合の方が確立が高いとか、聞いたことがあるけど、まさしくその例に漏れなかった。

お父さん、最後の最後までさあ・・・妻が亡くなったことでいっぱいいっぱいで、母親を亡くした一人娘のこと、考えてくれる気、全くなかったでしょ?と、父が死んだ時思った気がする。お父さんが死んじゃって、私、ひとりぽっちになっちゃったじゃないの、と。母が亡くなったあとも父に対して、自分の悲しみしか見えてないんだから〜、と、よく思っていた。そしてそれは、今振り返ると、私の被害妄想でもなんでもなく、まぎれもない事実であった(笑)。母さんが死んだってオマエはいいべや、旦那と息子がいるんだから、とか本気で娘に対して言ってたしなあ(まあ、そりゃ、比較すればそうなんだけど)。

(そして私も結局は、母親を亡くした悲しみでいっぱいいっぱいで、妻を亡くした父の気持ちを本当に想像しようとする心の余裕などなかったということも、今では分かるのだけれど。)

父が亡くなる前に病気になった時のどたばたも、その不良病人ぶりに、私の方が病気になりそうだった(ほんと。あ、実際なったけど)。諸々ほんとに(ここに書けない)ヤバいことがあって、「私の人生めちゃめちゃにする気?」と私がキレたら「オマエ俺を脅すのか」と来たもんで(ということは、やっぱり私の人生をめちゃめちゃにはしたくなかったのであろう。当たり前か)やり合った事もあったし、入院先から父が脱出を企てた時は取っ組み合いの喧嘩をしたし(おいおいf^^;)。

それなのに、どういうわけか。

まあ、それはそれで良かったんだろうな、結局のところ、お父さんとお母さんも、お父さんと私も。
としか思えない自分が、今ここにいる。

父と母の関係も、私と父の関係も、あれ以外、なかったのだと思う。もっとお互いを思い合えていたら、もっと感謝の気持ちを表わすことができていたら、もっと上手にコミュニケーションができていたら、もっと互いの関係に向き合ってより良い関係を築けていたら(きっともっと幸せだったのに)とか、不思議なくらい、ほぼ思わない(=全く思わないと言えばうそになるが、ほとんど思わない)。

そして、父が病気の進行状況にしては早く亡くなってしまったことについても、もっと何か出来たんじゃないか、とか、ちゃんと治療を受けさせていればもっと長く生かしてあげることができたんじゃないか、とか、全く思わない。

むしろ、二人とも(父も私も)なんかもうさすがにしんどそうだからと、母が連れてってくれたのかな、と父が亡くなった時に、思った。今も、実はちょっと、そう思ってる。

色んな親がいて色んな子供がいて、色んな親子の関係がある。夫婦もしかり。父との関係を思い出すとき、すぐに浮かぶのは、そして多く思い起こすのは、決して「美しい」ことではない。楽しいことでもない。(美しい思い出や楽しい思い出もちゃんとあるんだけど。)むしろ先に立つのは、腹立だしいような情けないような哀しいようなおかしいような、泣き笑いするしかないような、そんなエピソードの数々。

そしてそのことが、今となっては、なんだか愉快だ。

少なくとも、私たちの関係には、私と父の関係には、偽善も自己憐憫も無理も裏表もなかった。
「世間」もなかった。
ついでに言うと「がまん」もなかった(笑)。

二人とも、互いに対して「そのまんま」だった。

父のような人と結婚しなくてほんと〜〜〜にヨカッタ、と200%思っているが、結局のところ、親子としては、悪くない相性だったいうことなんだろう(え?)。そしてやっぱり、私は父親に恵まれていたということなんだと思う。

だからこそ、「とほほ > <;」「おいおい f^^;」てな言葉しか出て来ないようなことをあれこれと思い起こしては、やっぱりまた泣き笑いするしかなくて、父を恋しく思うのだろう。

いわゆる父の「死に目」に立ち会えなかったことに、大きな後悔はないけれど、時々、ぼんやりと考える。

この世から自分がチェック・アウトする時、お父さんはそのこと、分かっていたのかなあ。
分かっていたのだとしたら、私に何か言いたいこと、あったのかなあ。



・・・案外、特になかったかも、だけど・・・





posted by coach_izumi at 09:50| Slices of My Lifeー徒然ノート