2016年12月29日

「何かが(何にも)起こらなかったこと」の価値は、不当な評価を受けているのかもしれない

先日昔からの友人と久しぶりに話をしました。
本当にとても久しぶりなので、あれこれとお互いの生活や人生について、話が尽きず・・・その流れで彼女が私に話してくれたことでとても印象に残ったことがありました。

一見、品質管理の話なんですけど(笑)。

彼女はあるメーカーの製造現場で、品質管理や品質保証の仕事をしていたことがあるんですが、そのときのことを回想して、こんなことを話してくれたんです。

商品を製造する過程で何か大きなトラブルがあった時、それを解決した人というのは評価される。でも、そもそもトラブルが起きないようにと予防策をあれこれと考えて対策をたててそれを実行して、結果としてトラブルが起きなかった場合というのがある。「何も起きなかった」わけなので、はたしてその予防策ゆえに「トラブルを回避できた」のかあるいはただ単に「何も起きなかった」だけなのか、(その予防策に携わっていなかった人達は特に)判断できないし、そもそも「何も起きなかった」がゆえに、そのことは注目すらされない。だから、「最初からトラブルが起きないように」とあれこれ考えて働いた人の貢献というのは見えにくく、評価もされにくい。


人生においても、ちょっと同じかも、なんじゃない?
と、いうのが彼女のポイントで、私も、そうだなあ、って思ったんです。

人生と定義されるような大きな流れの中でも日々の生活においても、
失敗したり何かを失ったりしてリカバリーしたときとか、
何かを乗り越えたときとか、
何かを得たときとか、

それは「目に見える」。分りやすい。
だから、誰かに対して感謝したり、自分に対しても「よくやった」と自分を褒めたりすることができる。

でも、何か(悪いこと)が起こらなかったときとか、
何かを失わなかったとき(だから何かがそのまま常のままであるとき)、
一見「何も起こってない(笑)」ので、見えない。分らない。
だからそのことについて私たちは評価もしない。
どころか、気がつきもしない。

それは、ただたまたま起こらなかっただけかもしれないけど、でも、前もって何らかの心がけとか行動とかそういうものがあったから、起こらなかったのかもしれない。それは、分らない。

でも、ひょっとして、その「何も起こらなかった」ということは、実は一番素晴らしいことかもしれなくて、そしてその “「何も起こらない」ことが起こる" ためには、実は誰かやあるいは他でもない自分が−意識的にか無意識的にか、必死にかなんとなくかは別として−色んな事を考えたり、やってみたり、していたからかもしれない。

でも、そういう「貢献」は見えにくい。
誰かの貢献も。自分の貢献も、


人生において何かを選択した時、決断した時、それによって
失ったものや、得たものや、「起こったこと」は、よく見える。よく分る。
でも、その選択によって
失わなかったもの、あるいは得なかったもの、つまり「起こらなかったこと」はなかなか見えない。なかなか分らない。


その「価値」は正当に評価されにくい。


その「選択」あるいは「決断」によって、失わなかった何かがあって、起こらなかった何かがある。
確かにある(はず)。

でも、そのことの価値は、不当に評価されている、ちょっとそんな気がしました。

あ、私自身の人生においてです(笑)。

そして、ちょっとハッとしたのです。


同じようにハッとする人って、ひょっとして、他にもいるんじゃないかなあ・・・なんて、思ったりしながら、おせち料理の段取り考えたりしております^^




posted by coach_izumi at 12:38| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと