結婚する直前くらいだったが、北海道に帰省中に父親が運転していた車に乗っていて交通事故に遭った(それで実は顔の小さな骨を折って、メイクもしてないのに歌舞伎役者みたいな顔になったが、手術もしなかったがちゃんとくっついたし大したことはなく済んだと言えると思う。)。私は助手席に乗っていて、一瞬だけ意識が飛んだがすぐに意識が戻って、運転席に乗っていた父親の方を見ると、父が意識を失っている様だったので、「お父さん!お父さん!」と叫んだ。と、父がうっすらと目を開けて私の方に首を回して私を見てゆっくりと力なくニヤリとして(ちょっと不気味だった)、また目を閉じて意識を失った。
事故に遭って大変なことになってるのに、どうしてあの時、お父さんはニヤリと笑ったのかなー、とずーっと不思議だった。父になんで笑ったの、と聞いても全く覚えていなかったし。自分は大丈夫だ、と伝えて私を安心させようと思ったのかな?と、その時一瞬思った覚えがあるが、なんとなくピンと来なかった。それで先日、またぼんやりとそのことを思い出してたら、ふと、あ、こう言うことだったのかなあ、と、18年近く経って初めて思いついたことがあった。
父はきっと、私が無事なのを確認して、よかった、と思ったのだ。だから安心して微笑んだに違いない、と。(それがまあ、事故直後だから不気味に力なくニヤリとしている様子になってしまったというオチかなと。)
もちろん、真相は永遠に分からないけど。
なぜそう思いついたかというと、きっと自分も、同じ状況だったら、まず息子のことが気になるんじゃないかーと思いついたからだ。それで息子が無事だったらよかった、と、諸々の状況はどうであれ、彼が無事であればとにかくよかった、と思って、息子に向かって無意識でも意識が混濁してても微笑むかもしれないなー、とふと思いついたからだ。
もちろん本当はどうだったのか全く分からないけど、この説、今の今まで全く思いつかなかった(苦笑)。どうして私を見てニヤリとした(そう見えた)のかなー、とずっと不思議だった。
自分勝手な子供っぽい父親であったが、でも、私のことをいっぱい思ってくれたんだろうなあ、と最近振り返る様になって(もちろん真相は謎ですが。笑)こんな可能性をふと思いついた。それはやっぱり私も自分勝手で子供っぽい親だからで、でも息子のことはかなり好きだからかもしれない。
2019年10月26日
親になって(しばらくしてから。笑)分かった親の気持ち
posted by coach_izumi at 12:56| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと
2019年10月05日
嬉しかったけどビビった、クライアントさんからのメッセージ
かつてコーチングのクライアントさんだった方から数年してご連絡いただくことがあります。近況報告のようなものですが、それはただ単に出来事の近況報告に終わらない、クライアントさんがどんな人生をどんな風に歩んでいるかについて−その心持ちとでも言うのでしょうか−の、もうちょっと抽象的なご報告であることが多いです。
先日、2年ほど前にコーチングのセッションをさせていただいたある(元)クライアントさんからご連絡を頂いて、その中に以下のようなメッセージがありましたので抜粋してご紹介します(その方の了承を得て記載しますが、プライバシー保護の為に少し文章を変えてあります)。
「・・・・本当にありがとうございました。孤独でいた時、和泉さんのコーチングが唯一の私の救いでした。コーチングしていただけなかったら現在の私はありません。コーチングの素晴らしさ身に染みました。重ねて御礼申し上げます。」
このようなメッセージをいただいて、ああ役に立てたんだなあ、と思ってホッとしたし、もちろん嬉しかったんですが、同時に、「うわ、私、やばい(←最近ハヤリの「ヤバイ」じゃなくて、伝統的な用法の悪い意味の方)」って、実は思いました。
と言うのは、私、私のコーチングはこの方のなんらかの役に立っているようだと思っていたし、ひょっとしてなんかの支えみたいにもなってるのかなー、というような感覚もぼやっとでしたが持ってました。そしてこのクライアントさんが私とのコーチングの時間を楽しみにしてくださっているのも、感じていました。でも、正直「唯一の救い」などと言っていただくほどに、私とのコーチングがこのクライアントさんにとって切実なものであったとは、分かってなかったと思うんです。そう思ってたら、プレッシャーがコーチングに悪影響をもたらしたかもしれない、と思うので、結果オーライと言えばそうなのですが、でも、自覚が足りなかったなー、というか、私にできる「最大限の」注意をクライアントさんやクライアントさんとの関係に対して払ってなかったなー、って今更ながら恐れおののくような気持ちで、上記のメッセージをいただいて振り返ったんです。
「コーチングしていただけなかったら現在の私はありません」というのは、私にとってはとても有難い過分な言葉です。でも、それだからこそ、ちょっとしたことでコインの裏表がひっくり返るように、何かの拍子で、コーチングのせいでこうなってしまった、とネガティブな思われる結果になる可能性だってあったんじゃないだろうか???そのこと、分かってた??そこまで考えてた??と、かつての自分に問うてしまいます。
もちろんそんなことばかり考えていたら、私自身がありのままの自由な状態でコーチングに臨めなくなってしまって、それこそクライアントさんに対して何の良いこともないので、そこは、それはそれとして、と囚われ過ぎない、恐れ過ぎないことがもっと大事なんだろうと思いつつも、今更ながら、ちょっとビビったのでした。
とても嬉しいお便りをもらいましたが、コーチとしての私という人間がクライアントさんとしての別の人間に関わることの重大さを改めて考えさせられたという意味でも、とっても素敵なお便りをいただきました。
こちらこそ、改めて、ありがとうございました!
先日、2年ほど前にコーチングのセッションをさせていただいたある(元)クライアントさんからご連絡を頂いて、その中に以下のようなメッセージがありましたので抜粋してご紹介します(その方の了承を得て記載しますが、プライバシー保護の為に少し文章を変えてあります)。
「・・・・本当にありがとうございました。孤独でいた時、和泉さんのコーチングが唯一の私の救いでした。コーチングしていただけなかったら現在の私はありません。コーチングの素晴らしさ身に染みました。重ねて御礼申し上げます。」
このようなメッセージをいただいて、ああ役に立てたんだなあ、と思ってホッとしたし、もちろん嬉しかったんですが、同時に、「うわ、私、やばい(←最近ハヤリの「ヤバイ」じゃなくて、伝統的な用法の悪い意味の方)」って、実は思いました。
と言うのは、私、私のコーチングはこの方のなんらかの役に立っているようだと思っていたし、ひょっとしてなんかの支えみたいにもなってるのかなー、というような感覚もぼやっとでしたが持ってました。そしてこのクライアントさんが私とのコーチングの時間を楽しみにしてくださっているのも、感じていました。でも、正直「唯一の救い」などと言っていただくほどに、私とのコーチングがこのクライアントさんにとって切実なものであったとは、分かってなかったと思うんです。そう思ってたら、プレッシャーがコーチングに悪影響をもたらしたかもしれない、と思うので、結果オーライと言えばそうなのですが、でも、自覚が足りなかったなー、というか、私にできる「最大限の」注意をクライアントさんやクライアントさんとの関係に対して払ってなかったなー、って今更ながら恐れおののくような気持ちで、上記のメッセージをいただいて振り返ったんです。
「コーチングしていただけなかったら現在の私はありません」というのは、私にとってはとても有難い過分な言葉です。でも、それだからこそ、ちょっとしたことでコインの裏表がひっくり返るように、何かの拍子で、コーチングのせいでこうなってしまった、とネガティブな思われる結果になる可能性だってあったんじゃないだろうか???そのこと、分かってた??そこまで考えてた??と、かつての自分に問うてしまいます。
もちろんそんなことばかり考えていたら、私自身がありのままの自由な状態でコーチングに臨めなくなってしまって、それこそクライアントさんに対して何の良いこともないので、そこは、それはそれとして、と囚われ過ぎない、恐れ過ぎないことがもっと大事なんだろうと思いつつも、今更ながら、ちょっとビビったのでした。
とても嬉しいお便りをもらいましたが、コーチとしての私という人間がクライアントさんとしての別の人間に関わることの重大さを改めて考えさせられたという意味でも、とっても素敵なお便りをいただきました。
こちらこそ、改めて、ありがとうございました!
posted by coach_izumi at 05:15| Coaching Sessionsーコーチング・セッション