一億総中流という言葉が流行った頃(それは昭和の昔)、当時小学生だった私は母に「うちも中流なの?」と尋ねた。母はちょっと苦笑いして「うちは下流かな」と答えたので私はびっくりしたw そう言えば祖母は読み書きがちゃんとできなかったし、私はずっと自転車買ってもらえなかったし(そんでねだってねだったみんなが乗ってたタイプよりも安いタイプのをようやく買ってもらったけど一人だけ仕様がみんなと違ってダサいっていじめられたし)、私は船山家では初めての(そして最後の〜なぜなら私が船山の最後の人間だから)大学進学者であったし、確かに我が家は庶民であった。が、私の父親は、なぜか、お金持ちと仲良くなる、それもすごく仲良くなる、と言う特技(?)があった。北海道でも茨城でもそうであった。と言っても、ヘッジファンドでぶいぶい言わせたぜとか(そんなものは当時ないが)、ITベンチャーで成功したとか(そういうのも当時はないか)、はたまた大会社とか大きな組織の偉い人、とかじゃなくて、代々土地持ちのお金持ちで本人は至ってのんびりいい人で、暮らしぶりも全然派手じゃなくて、はっきり言って全然お金持ちに見えません、みたいなタイプ。
北海道で私たちが住んでいた隣町に「N御殿」と地元の人が呼ぶ御殿、じゃなかった、豪邸に住んでいた、なんだかやたらお金持ちのNさんはまさにそういう人で、そして父の生涯の友であった。(別に父が土地を分けてもらったとか株の配当をもらったとかそういうことはなかったですが、自分の山で取れるフキとか山菜をいつもそれこそ山のようにくれましたw)そのNさんと父が生涯の友となるべく出会った頃のエピソードを以前父が話してくれたことがあって、今でも時々思い出す。
当時Nさんと父は北海道の林業・材木関係の会社に勤めていて、一緒に日高山脈の山奥に車で出かけることがあった。車の中で缶入りの飲料か何かを飲み終わった父は、その入れ物を、走っている車の窓からひょいと捨てようとしたらしい(←けしからんね^^;;)。するとNさんが、「おいやめろ。捨てるな。俺があとで始末しておくから」と父を諫めて止めたと言うのである。父はその時「こいつ、すごいな、と思った」、と私に話してくれた。その後、Nさんと父の交流は生涯続き、父はNさんを「俺の親友」と称していた。ちなみに父は「俺はあれから絶対に物を山に捨てなくなった」と私に話してくれた。
父は当時20代だったはずだが、高校の時に同級生をいじめた上級生にリベンジするために同級生を集めて父が先頭に立ってやっつけに行った(そして勝ったと自慢していた〜真偽は分からないが)、みたいな若者であった。そして高校卒業後の進路で祖父(=父の父)と衝突し、家出をして1年間行方不明になり、ようやく帰ってきたら重機の運転してフリーで仕事してました、みたいなそういうタイプ。ついでに言うと当時は会社員でこそあったが「職業、山男」みたいな仕事をしていた。そういうヤンチャな父が(林業関係者以外は)誰も来ない山にゴミを捨てるという、ヒジョーに不道徳的な行為であっても多分多くの人がやっちゃってたであろうという行為をするのを、それも昭和の昔の当時に、はっきりと言葉で諫めて止める、というのは、誰にでもできることではないと思う。私も何度も直接会ったことがあるNさんは、のほほーんとのんびりしてるいいおじさん、って感じで、死ぬまでヤンチャだった(←娘は困ったよ^^;)父のような人間にそういうことをはっきりと言って諫める図は想像できないが、私はNさんは素敵な人だなーとそのエピソードを聞いて思った。そしてそういうNさんに対して「こいつ、すごいな」と思ったという父についてもまた「お父さん、いいじゃん」と思ったのであった。
父が余命宣告されて、でも頑として一切の治療も世話も拒んで一人で北海道の自宅で暮らしていた時(いや、だから一人娘は困ったよ^^;)、Nさんに電話してこれこれこういう事情なんで、父が生きてるうちに父に電話しておしゃべりしてやってくれないか、そして私が電話したもことも病気のことも黙っててくれないか、とお願いした。Nさんはすぐにそれも何度か父に電話してくれた。不良病人だった父と私はよく喧嘩していたが、それでも父は私に「Nから電話来てさ〜色々しゃべってさ〜いや〜面白かった〜」と嬉しそうに言ったものである。ひひひ、それは実は私が仕込んだんだよ、とは、武士の情け、父には言わなかったし、最後に生きている父に会った時も実は喧嘩別れしてしまったのだが、あの仕込みは最後の親孝行だったな、と思ってる。
父が自宅で亡くなっているという知らせを受けてその日に熊本空港から千歳空港に飛んだが(直航便はなかったけど)、熊本空港で私が親戚以外に電話した二人のうちの一人がNさんで、Nさんは奥さまと一緒にお通夜から来てくれた。
通夜振舞いの席でNさんと奥様にお礼を言ってお話をしていたら、奥様が突然、唐突に、私にこんな話をしてくれた。
XX日の夜中に二人ともなーんだか寝られなくて、そんなこと普段はないんだけど、二人とも茶の間に出てきたのさ(←北海道弁w)。そしたら、この人(=Nさん)、なーんにもないところで突然転んで、おでこ怪我したのさ。ほら(傷を指す)、ねー、何やってんだべね(←北海道弁w)。
Nさんの額には確かに新しい傷があって、Nさんは、テヘヘ、って感じで苦笑いしていた。
父は自宅で一人で亡くなっていたところを発見されたが、実はその前の日に近所に住む親戚が父の様子を見に会いに行ってくれていた。普段は一週間に一度父の様子を見に行ってくれていたその親戚は、父と兄弟のように育った父の従兄弟であった。生きている父と最後に会ったその翌日の昼頃に、「なんだか気になって」父の様子をまた見に行ってくれたのだった。そこで居間に倒れていた父の遺体を発見して私に連絡をくれたという顛末だった。XX日の夜中はその親戚が最後に生きている父にあった日の夜中で、死後硬直などの状態から、おそらく父が亡くなったのであろうと推察される時間帯だったが(自宅で一人でなくなったので正確な時間は分からない)、そのことはNさんご夫妻には伝えてなかった。
父の遺体には、その従兄弟が最後に父に会った時にはなかった生傷があって、きっと亡くなる前に転んだだろう、とその従兄弟は言っていた。そのことも、Nさん夫妻には全く言っていなかったが、Nさんのその新しい傷は、父の傷と同じ場所にあった。
「Nって俺の親友がいるんだけど、そいつが俺、大好きでさー」と、酔っ払って何かの雑談の時に親戚の誰かにに嬉しそうに父が話していたことがあった。私は二人の傷のことに、ちょっと驚いたが、お父さん本当にNさんが大好きだったんだなー、と、もうただ、そう思うだけだった。
2021年02月13日
父の親友
posted by coach_izumi at 05:23| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと