2014年07月03日

不安の中に確信を持つ

この月曜日から、息子が参加する「サマー・キャンプ」が始まりました。アメリカの夏休みは7月&8月まるまる2ヶ月です。長い!

この長い夏休みをどう過ごすかは様々ですが、この「サマー・キャンプ」なるものに子供を入れるというのはよくあるパターン。サッカーキャンプ、テニスキャンプなどのスポーツ系キャンプもあれば、バイオリンとかピアノとかアート系もあれば、サイエンス系もあり、様々な種類の「キャンプ」があります。

キャンプと言っても、どこか山の中に出かけてテントを張って寝泊まりする、ということではなくて、朝送っていって午後もしくは夕方に迎えにいく、という、まあ、サマースクールみたいなもんでしょうか。

去年は、サッカーとか、テニスとか、サイエンスとか、「習う」ことがあるタイプのキャンプに行かせたのですが、今年はいわば地域密着夏休み学童、という感じの地元の町のタウン・キャンプに行かせることにしました。

学年&性別ごとのグループに別れて、そこに3人ほどの高校生がリーダーとしてついて、水遊びしたり、バスケットしたり、走り回ったり、絵を描いたり、ま、一日中ただ遊ぶわけです(笑)。いわば屋外児童館みたいな感じでしょうか。

実はこのタウン・キャンプ。2年前にアメリカに来たばかりの夏休みに息子を行かせました。まだ渡米一ヶ月にもならないころです。

当時の息子は英語がほとんどできなかったのですが、ようやく慣れ始めたかも・・・という1年生のクラス(2〜3週間だけ通った)の環境ともまた全く違う新しい環境に放り込まれたわけです(笑)。

その2年前のキャンプの初日の朝、息子はもちろん、ほとんど「凍って」ました。きゅっと口を結んで、いかにも不安そう。その時たまたま私たちの様子を見に遊びに来てくれたアメリカ在住の友人は「あの顔、目に焼き付いて忘れられんかったよ」などと言っておりました。私も「大丈夫かな?楽しくやっていけるかな?うまくやっていけるかな?高校生のリーダーたちは学校の先生とは違うから、そこまで配慮してくれないかもしれない・・・」と、特に英語がまだほとんどできなかったことが、ちょっと(かなり)心配だったけど、私は「この子、日本から来たばかりで英語がほとんでできないんだけど、身振り手振りでインストラクションをフォローすることはできると思うから・・・・よろしくね!」と高校生のお兄さんたちに息子を託して、その場を去りました。

蓋を開けてみれば、息子はそのキャンプの期間中にかなり英語が上達し、また、幸いにも非常に素晴らしい青年がリーダーの一人にいて、息子のことを何かと気にかけてくれて可愛がってくれたおかげもあって、息子は楽しい夏を過ごす事ができました。キャンプの終わりにはその高校生の青年に抱きついて涙するほど。

ま、いじめられたりなんてこともあり(まあ、そりゃあ、いじめる子もいるだろう、ってシチュエーションだし・・・色んな意味で)、色々と問題もあったのですが、そういう問題に親子できちんと対処できたことも含めて、良い経験となったのです。

あれからまる2年。息子は英語がぺらぺらになり、渡米直後に色んな人に言っていた「この子は英語ができないので・・・・△X△X、とにかくよろしく!」という台詞を私が言うこともなくなりました。同じタウン・キャンプには息子の顔見知りの友達もいます。

当たり前のことですが、2年経って、息子も私もあの時とは(人生において)全く「違う場所」にいるんだなあ、と、同じ町の同じキャンプの初日を迎えて、つくづくと感じました。

同じ町の同じキャンプ、まさしく「同じ場所」だからこそ、つくづく、自分達は今、あの頃とは全く違う場所にいる、と感じました。

当時は息子も私も結構「てんぱる」ことが多くて(笑)想像もできなかったけど、2年という歳月が経てば、人は、同じ所にはいないんだなあ。必ず、違う場所に来るんだなあ、と。

良くも、悪くも、私たちは、決して同じ場所に留まってはいないのだ。
そうしたくても、それはきっとできないのだ、と、思います。

ましてや、違う場所に行きたいのだと、望み続けて動き続ければ、必ず、違う場所に来る。望んだ通りの場所かどうかはともかく、ちょっと良い場所、あるいは案外&想定外の良い場所。そこにくることもある。・・・のではなかろうか。と

夏本番を迎えているアメリカ東部の小さな町の朝で、ちょっと楽観的な気持ちで哲学(?)してしました。

ちなみにこの月曜日に迎えたキャンプの初日の朝も、息子はやっぱり不安そう。
だって、やっぱり、知らないお兄さん達だし、同じグループに知らない子もいっぱいるし、また学校とは別の人間関係が展開するわけですから、ね。

大人だって不安になる。子供だって、同じ。

でも、その朝の息子の不安そうな顔を見た私は、不安にはなりませんでした。

もちろん、もう英語も心配ないし、一度経験してるのでどういうキャンプか分かってるし、ということで、以前よりも不安が少ない、というのはあります。

ただ、私が息子の不安な顔を見ても不安にならなかったのは、それが主な理由ではありません。

だって、この「不安な顔」、アメリカに来てから幾度となく見て来たんですもん。
そしてその不安な顔を見て、私も幾度となく不安になったから。
でも、そんな不安をふりきって、息子をそこに「放り込んだ」ことは、いつも、いつも、良い結果に結びつきました。

いつも、息子のたくましさと柔軟さに、こちらが驚きました。

だから、今度もきっと大丈夫だ、と息子の不安そうな顔を見ながら、確信することができました。

あ、こういう風に、「確信」できたのは、実は初めてかも。

いつもは「・・・だいじょうぶかな〜・・・・きっと、だいじょうだよね・・・がんばれ〜・・・・」って感じだったから。

不安なのは、新しい世界に飛び込もうとしているから。
新しいチャレンジをしようとしているから。

不安を感じないことばかりを選んでいたら、何も変わらない。何も広がらない。つまらない。

不安はなくならない。決してなくならない。
だけど、そこから「逃げる」ことと、不安を小脇に抱えて、不安と一緒にえいやと飛んでみることには、雲泥の差がある。
不安を吹き飛ばしたつもりになって(ほんとはなかなか吹き飛ばないのだけど。笑)走ってみて、初めて、不安はほんとに吹き飛ぶ。

息子のことだけじゃなくて、私自身のことについても、これからは色んな意味での新しいチャレンジにともなう「不安」ともっとうまくつきあっていけるような、そんな気がしています。

そして不安を感じながらもちゃんと確信も感じられるように、そんな風に生きていけたらいいな、と思っています。

...なんてことを思って、おまけにそれをブログに書いちゃってるなんて、ほんと、2年経つと、2年前は想像もしていなかった場所に来てるもんです。つくづく。




posted by coach_izumi at 23:58| Slices of My Lifeー徒然ノート