2014年07月13日

価値観を探ると

あなたは自分がいつかこの世を去ったあと、どんな人だった、と言ってもらいたいですか?そして誰にそれを言ってもらいたいですか?

自分の子供に「やさしいお母さんだった」と言ってもらいたいですか?会社の部下たちに「素晴らしいリーダーだった」と言ってもらいたいですか?昔の恋人に「本当はあなたと人生を歩みたかった」と言ってもらいたいですか?数多くの友人に「一緒にいて楽しかった」と言ってもらいたいですか?ニュースにとりあげられて「偉大な指導者がこの世を去った」と言ってもらいたいですか?
それとも誰に何を言われようが全くかまわない、ですか?

少しだけ一人の時間を確保して、目を閉じ、深呼吸して、想像してみてください。

私たちはいつか必ずこの世を去る。そして残された人たちがあなたをしのんで集う時。彼らはあなたについて、どんなことをどんな風に語り合うでしょうか。彼らが「XXさんって、・・・な人だったよね〜」と言う時、・・・にはどんな言葉が入るといいな、と思いますか?

この・・・にはあなたがあなた自身に願う姿、あなたの価値観(の一面)が表れます。あなたが、ほんとうは、どんな人生を送りたいのか、浮き彫りになります。

価値観を探るワークは色々ありますが、この「あなたが死んだ後、どんな人だったと言われたい?」は、比較的お手軽にできてかつ的確に価値観を探り出すことのできるワークだと思います。

私はコーチング・パートナーシップの初期(の導入セッション)に行うことが多いですが、場合に応じていつやってみてもいいものだと思います。

今のあなたの姿が、ここに出てくる「・・・な人だった」と同じ、近い、あるいは親和性がある、という場合、いろいろな大変なことや辛いことがあったとしても、あなたの生活や人生が生き生きと充実しているものである(あるいはそうなる)可能性が高いと思います。

逆に、一見申し分のない、人からうらやまれるような恵まれた生活を送っていたのとしても、今のあなたの姿がこの「・・・な人だった」の「・・・」から遠い場合、きっと、あなたは、苦しい。

そしてこれからあなたが何かの選択をする時。
その選択をするあなたは、あるいはその選択をしたあとのあなたの姿は、この「・・・な人だった」に沿ってますか?乖離してますか?
ここを判断基準にすると、その結果どう転んでも、きっと納得できるんじゃないかな、と思います。


***で、ここからは「私」のことです(笑)。

先日、新規のクライアントさんにこのワークを行ったのですが、そのセッションを終えて、じゃあ、今の自分は、自分の死後、誰にどんな人だった、って言われたいと思っているんだろう?と自分のことが気になりました。すなわち、今の自分にとって大事なことは、なんぞや??ということがふと、気になったのです。

で、ちょっと想像してみました。

私は今のところ長生きするつもりなので(笑)友人の多くはもう先に逝ってるってことなんでしょうか。今周りにいる人間のほとんどは−親友も夫も含めて−(笑)そこにはいませんでした。

はっきり見えたのは今の顔のまま(笑)背が大きくなってる息子の姿、そして顔が分からない、私よりも若い人たち。

そして息子がこう言ってました。
「お母さんって、いっつも楽しそうだった。一緒にお酒を飲むとめちゃめちゃ愉快だった。そして、すごく、勇気のある人だった。」

なるほど。
前に同じワークをしたときと、ちょっと違うなあ。とにかく、これが現在の私が「こうありたい」と思っている自分の姿なのね。そして価値観なのね。つまり、こういうことを大事だと思っている。

楽しそうにしている(全く同じじゃないけどイコール、楽しくしている)こと。
一緒にいて愉快な人間であること(特にお酒を一緒に飲んだ時。笑)
勇気があること。

そして私はセルフチェック・モードに入ってしまいました。

今の自分はいっつも楽しそうかな?楽しくしてるかな?
う〜ん、△。けっこういらいらすることあるし、チャンスを楽しむよりもプレッシャーに感じることの方がまだまだ多いしなあ。→もっと「楽しむ」ことに、心向けたい!!それ、意識してみよ〜。

私は一緒にいて愉快な人間?特にお酒を一緒に飲む時?
う〜ん、普段はあんまり人と一緒にお酒飲む機会がないんだよね〜(ということを残念に思っている自分に気がつく。笑)。だいたい息子はまだ飲めないし(当たり前)。サービス精神は結構あるかしらん?でも、一緒にいる人が心地よいとか愉快に感じるとか、それがどういうことなのかとか、そこまで深く考えたことないよね〜・・・・もっと相手のことを考える、っていうことに心を向けると、どんなことが起こってくるかな〜・・・

勇気。勇気。勇気ねえ。多分、けっこうあると思う。周りからもそう見えるんじゃないかな。
でも、ほら、今やろうと思ってる「あれ」。あれ。あれ、なかなか一歩が踏み出せないんだよね。あの人に連絡とろうとろうと思いながら、なかなか・・・だって嫌な顔されたら嫌だしなあ。
そう、「勇気」が出ないんだよね〜、実は。
でもさ、ここで勇気出さないと、ずっとうじうじしちゃうよね〜。それに後で後悔するだろうなあ。かなり。そして、たとえ失敗したって、後悔はしないだろうね。勇気を出したのなら。
だって。

「勇気」は、私にとっては、大切なことなんだから。

あああ。どうしよう、分かっちゃったよ。勇気を振り絞って「あの」ことをしないと、すごく自分で嫌だってことが。するのも嫌だけど、やらないともっと嫌ってことよね。はあ。
(じゃあ、やってみるしかないじゃんか〜・・・・・!!)

と、若干自分で自分を追いつめるハメになってしまったのが、おかしいのですが、こんな感じで、一人コーチング(あ、こういうのをセルフ・コーチング、と言いますが)をいつの間にかしてしまいました。

だから「あれ」、来週中にやってみようかと思ってます。


***で、最後にまたちょっと脱線するんですが、もうひとつ腑に落ちたことがあったのでした(文、長いよっっ)。
息子が私に何かメッセージを書く機会があるとき(こっちの学校は結構多い)、よく「お母さん、毎日お料理してくれてありがとう」って書くんですよね。判で押したように(笑)。そりゃ、ありがとうって言われて嬉しいけど、「え、お前にとっての私って、“お料理するひと”なの?」と思って、なんかがくっとした(笑)ことが、1度や2度じゃなくてあるんです。他になんか、ないんかい?みたいに。で、一度「ママはすごくおもしろいです」みたいなことを作文で書いていたことがあって、そっちの方が、実はよっぽど嬉しかったんですよね。

もちろん母親なんで日々彼のために今は料理してて、それは当然の責任だとは思ってるし感謝されれば嬉しいけど、そこ、私の人生にとってそんなに大事なことじゃない、って、このセルフ・ワークをしてみて、気がついてしまった!!(やばい。笑)

私が死んだ後、息子に「ママが毎日ぼくのために料理してくれたこと感謝してる」なんて、別に言われたくないよ、って思いました。そんなん、どうでもいいわい。むしろ私は、彼に、「ママって、楽しくって、おもしろくって、勇気のある人だった」って、言われたいよ、って、気がついてしまった(笑)。
(あ、ちなみに、別にお笑い芸人風の面白いヒトになりたいわけじゃないですよ、私。オモシロイ人生を歩みたいなと思っていることが分かった、ということです。)


ん?てことで、今日のごはん、ちょっと手を抜いても、いいんじゃないの?・・・だって私の価値観的にそんなに大切じゃないんだから、というのが、今日のブログの結論???(違うって)





posted by coach_izumi at 23:58| Coaching Skillsーコーチングの技術