2014年07月25日

「所詮宇宙のちりとして消え行く私」と「勇気」について

以前別のところで、私が何かを選択したり決意したりするときの基準のひとつに「後悔するか否か」がある、と書いたことがあります。

基準、ではないのですが、私が何かを選択したり決意して、そしてその結果として行動をしようとして「でもXXだから、躊躇する・・・」という時に、自分に言い聞かせる、というだけでなく、どちらかというと、なんとなく自然にわいてくる、感覚があります。

それは「どうせ、みんな、死んじゃうんだから」です。

この字句だけ見ると、投げやり後ろ向きな感じもあると思うのですが、元来ネアカな私的には、別にそういうことじゃないのです。

上述の「XXだから」には、ありとあわゆる言葉を当てはめることが可能です。

「でも、失敗したらみっともないから」
「でも、こんなことして迷惑がられるかもしれないから」
「でも、あいつ、かっこわるい、って思われるかもしれないから」
「でも、こんなことして意味ないかもしれないから」
「でも、嫌われちゃうかもしれないから」
「でも、恥ずかしいしから!!!」

エトセトラ。エトセトラ。

だけど。

どうせ、みんな、死んじゃうんだよね。

ああしようかこうしようかどうしようか、と逡巡している自分も。
みっともないなあ、かっこわるいなあ、と悩んでいる自分も。
そして実際にみっともなくてかっこわるい自分も。
私の言動によって迷惑をかけたり嫌な思いをする「かも」しれない人も。
(別にどうせ死んじゃうからと言って、人様に迷惑をかけたり嫌な思いをさせたりしてもいい、ということではありません。念のため。)

そして私が一大決心して何かをしたとしても。何かをなし得たとしても。
そして私が世紀の赤っ恥をかいたとしても。

みんなみんな、あと何十年かしたら、みんなみんな消えてなくなる。

だって、どうせ、みんな死んでしまう。
(後世まで残る不名誉・・・なんてことは、私が死んだあとのことなので、あまり私には関係ないと思っております。ちなみに、後世まで残る名誉というのにも全く興味ない。だって私は死んじゃってるから、関係ないしい。)

だったら、今ここでああだこうだ考えたりやったりしてることなんて、それがなんであれ、ほんと〜に、ちっぽけな、消えてなくなるもんなんだ。

ほんの何十年かしたら、いや、きっと何ヶ月かかもしれない、誰も覚えていやしない。みんな消えてる。だって、私たちはみな、消えてなくなるのだから。

そんな感じの、ちょっと虚無感にも似た感覚を、「持てる」とき、私は逆に勇気が出ます。

だったらさあ〜、ちっぽけなことに、うだうだするの、やめようぜ、って思うからです。

この宇宙なのかこの世なのか、分からないけど、漂っているのはほんのわずかな間。どうせ消えてなくなるなら、ほんのわずかな間に漂ってる間に、好きなことして、思いっきりやって、あっさり消えたらいいやんって。

私は特定の宗教を信じていません。信じることができたらいいだろうな、とは思いますが信じていません。

「死」の意味は、宗教によって違うと思うし、それを尊重したいという気持ちはありますが、今まで「これこれ〜!」って感じで、自分自身にどんぴしゃ、しっくり、ときたことはありません。

でも私たちはみんな死ぬということは、厳然たる事実として信じていて、今のところ、結局宇宙のちりになるんだなあ、っていうのが、個人的にはぴったりとくる感覚です。

所詮、「ちり」に過ぎない、自分。そして他者。

であれば、どうせそんなにちっちゃいなら(笑)、余計にちっちゃいことは、もう考えなくてもいいんじゃないかな〜、って感じられる時、私はいわゆる「勇気」を持つことができます。別にごたいそうなことに限りません。たとえばちょっと誰かにメールをある理由で書くとか・・・そんな日常の中のこと。でも、そういう日常の小さなことでも、「勇気」が必要なときって、ありませんか?

ちなみに、いわゆるちょっと「ごたいそう」な場合にも適用可能です。あ、私の場合。

所詮ちっぽけな自分。所詮消えてなくなる自分。何を考えても、何をしても、きっと、所詮、ちいせえ、ちいせえ。ただでさえちっぽけなんだから、もっとちっぽけなことでうじうじするのは、馬鹿みたい。

どうせ死んじゃうなら、どうせ、「ちり」と散るのなら、ほんの一瞬だけでも、きらりと光って、消えていきたいな。

そんな風に感じることができるとき(つまり、いつもじゃないのです。うじうじとつまらんことで悩むことももちろんあるのです。笑)、私は何かを切り開くようなと行動することが多い気がします。あ、本人はそれを「切り開く」とか思ってなかったけど、最近人からよく言われるので・・・^^

なんて、自分を見つめてしまった、夏の夜でありましたが。


ま、結局何でもいいんだと思います。
あ、何がって?
あなたの中に眠っている、ちゃんと存在している、「勇気」、を取り出す(?)メカニズム。

人によっては、私とは全く逆の思考が有効な人もいると思うし。

「やる気スイッチ」っていう言葉がはやりましたよね。(うちの息子はよく「やる気スイッチ押して〜(だらだら)」などとほざいておりますが。笑)。

「勇気」も、きっと、あなただけのスイッチがあるんじゃないでしょうか。
どこにあるのかな?って、ちょっと探してみたくなりません?


posted by coach_izumi at 11:49| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと