2014年11月16日

バドミントンでペアを組んでいた時のこと

高校の時バドミントン部だった。キャプテンだったし、ダブルスで県大会も一度だけ行ったけど、キャプテンになったのは同じ学年の部員が少なくて他になり手がいなかったからだし(笑)、県大会もその時ペアを組んでいた先輩が地区で1、2、を競うプレイヤーだったからで、私自身は強いプレーヤーではなかった。先輩が卒業してから、同じ学年のAとペアを組んだけど、やっぱり別に強いペアじゃなかった。

だけど最近、そのAと組んで試合や練習をしていたときのことを思いだすことが時々ある。

バドミントンのダブルスの基本的なフォーメーションが二つあって、複雑なものでも難しいものでもない。ひとつはサイド・バイ・サイド。横にプレーヤーが並ぶデフェンスの型。もうひとつは前と後ろにプレーヤーが位置するもので、こちらはオフェンスの型。とは言ってもデフェンスとオフェンスの区別は厳密なものではない。

このフォーメーションは流動的で、敵からのシャトルがどんな風にどこに来るかによって変わるし、こちらがどんなシャトルをどこに打つかによって変わる。そして一打一打ごとに、プレーヤーは常に動いてフォーメーションを変えていく。

たとえば私のペアAがデフェンスのフォーメーションからスマッシュを打つとすると、スマッシュは「オフェンス」なので、彼女がスマッシュを打つと同時に、私と彼女はオフェンスのフォーメーションへとシフトする。その時二人がいる位置によって、スマッシュを打った方が前へいく場合もあるし、後ろに下がる場合もある。シャトルを打つ瞬間に、もちろん互いに声をかけあうことが多いのだけれど、ペア同士は自分が次にどこへうごくか瞬時に判断してそこに動き、相手から飛んでくる次の一打に備えて、そしてそこから繰り出す自分たちの次のショットに備えて、フォーメーションを組む。(昔の)新幹線の早さのシャトルが飛び交う(私とAがそのスピードでシャトルを打てていたかどうかは別として)狭いコートの中で、ペアは、敵方と味方の一打一打に反応しながら、動く。Aとぶつかったことはないし、彼女が私の想定とは違う場所に動いたりしたことは、おそらく一度もなかった。私もそうだったと思う。

前述したように、たいした強くもない高校生がこなす、こういうバドミントンのフォーメーションは、別に複雑なものでも難しいものでもない。多少の心得があれば、誰でもできるものだ。

だけど最近、かつての自分とAの動きや「息の合い方」のようなものを思い出して、私はすごい、と思った。

あんなこと、私は、他の誰とも、また他のどんなことにおいても、やったことがない。できたことがない。

そして私は、特にこちらがシャトルを打った直後に私とA が次のフォーメションに移るときに、その直前のショットが生み出した「流れ」のようなものにぐぐっとのっかって次に自分がプレイをするべき位置に移るときに感じていた、ある種の快感を思い出した。

もちろん、動いているのは自分なんだけれど、その判断は瞬時のものだからなのか、その動きもかなり素早いものだからなのか、自分の意思で決めて動いているというよりは、自分や自分のペアのAが繰り出したショットがつくり出した「流れ」に、まるで押しだされるかのように自分たちは次に立つべきポジションにいた。その「流れ」にのって、自分の体がほとんど勝手に動き、次のポジションにいる。自分のペアのAにしてもそうだ。

きゅ、きゅ、という、シューズがコートの床の上で立てるリズミカルな音にのって、私とペアのAはコートの中で、いつもペアとして一番いい体制でいられるように、動き続けた。バドミントンの瞬間運動量だかなんだかは、球技の中では1、2を争うというようなことを聞いたことがある(「羽」だけど「球技」とは、これいかに?)。よく知らないけど、動きが激しくて速いことは間違いなくて、常にペアとして一番良い体制でプレイするべく、きゅ、きゅ、きゅ、と、足を動かして、常に動き続ける。「走る」というよりは、ときに飛ぶようにして、「動く」。

こんなこと、バドミントンでペアを組んだ彼女以外としたことがない。できたことがない。(練習で他の部員と組んだときにはもちろん、できたが、記憶に残っているのは定番ペアだったAのことだし、やはり定番ペアの彼女と組むときは「これだね、これ」っていう感覚があった。)
バドミントン以外のどのことでも、したことがない。できたことがない。

私が今でもよく覚えているのは、サイド・バイ・サイドのフォーメションからこちらがスマッシュやドロップを打った直後の動きのことだ。Aがよほど前ににいない限り、こちらが攻撃型のショットを打ったあとは、私が前に、彼女が後ろに下がって、オフェンスのフォーメーションを組むのが暗黙の了解だった。それが私たちの「勝ちパターン」だったからだ。

その「勝ちパターンに」動くとき、サイド・バイ・サイドの体制から、ネット際(あるいはその近く)にささっと動く時、それは守りの体勢から攻撃の態勢にシフトする、「よし、点取りに行くぞ!」という瞬間なわけだけど、そのとき、体の中で「よっしゃ〜」みたいな感じの気合いがあふれて、でも、自分の意思で動いているというよりは、自分やAが打ったショットの「流れに」に押し出されて、その位置に行く。

当時はうまく言語化できなかったけど、今思い出すと、あの感覚は、まぎれもなく、「快感」だった。勝った試合であっても負けた試合であっても、練習であっても、あれは「快感」だった。

ついでに言うと私はネットプレイが得意だったのだが、そのあと敵の動きを出し抜いてネットプレイを決めることができたときは、快感爆発だった。

そして、その快感を一番強く感じたのは上記のような時だったけれども、敵の攻撃のショットをなんとかクリアーして、サイド・バイ・サイドのフォーメーションをとって体制を立て直す・・・そういうときも、ある種の「快感」を感じていたと思う。

あんな「快感」は、思えば、バドミントン以外で感じたことはない。

当然のことだけど、もうあんな風に体は動かない。ショットも打てない。からぶりがせいぜいだ。だけど、Aと一緒にペアとしてコートに立てば、きっと私たちは、かつてと同じように、どちらかがシャトルを打った瞬間に、瞬時に、次に敵からくるべきショットをうけるべくそしてこちらから攻撃のショットをくりだすべく、ペアとして一番良い体制に「動く」だろう。足はもつれるかもしれないけれど。もう30年以上前のことだけど、体が覚えているという自信がある。

家族、仲間、友達、仕事の関係で出会った人。
これからの人々に対して、私は、かつてバドミントンのペアとしてプレイしていたときのように、「動いた」ことがあるかと言えば、正直言ってないと思う。つねに「ペア」として(あるいは「チーム」として)一番良い体制であり続けようとする・・・そのために、自分が動く。考える間もなく、あたりまえのこととして、動く。

ない。
ないと思う。

全くそういう類いのことがないかと言えば、それは、なくはないけど、あんなふうに、「快感」を感じるくらいまでに、動けたこと、動いたこと、があるかと言えば、ない。

もちろん、誰かと何かを一緒にするときに、1+1=2以上、という成果や感覚を経験したことは数多くある。特に、日本の大学での仕事を辞めてからいろんな人と「組む」ことが前よりも多くて、よくそういう経験をした。

でも、それは多くの場合、まず自分があって、自分のしたいことがあって、そのために相手のこともをちゃんと尊重して、自分が組む相手と自分がお互いにウィンウィンになるように色々考える・・・そんな感じ。
あるいは、パートナーがすごく信頼できるがゆえに、すっかりまかせることができてこちらが自由に安心してやれる、そんな感じ。

どちらの場合も、かなり気持ちよく成功裏に物事を成し遂げることができたんだけど、この、ダブルスの感覚とは、どこか、ちょっと違う・・・だってダブルスの時って、よく負けてたわけで、でも、快感を感じていたわけだから、そもそも、快感のありかが違うのではなかろうか・・・

とにかく、あんな風に、まさに二人が一体となって(少なくともそれを目指して)自分の意志があるんだかないんだか分かんないくらいの状態になって、自分のでも相手のでもなく「ペアの」勝利を目指して、動き続ける・・・あそこまでの感覚というか、快感は、まだ味わえてないと思う。人生のどんな局面においても。

でも、ここでふと気がついた。

私、ダブルスの方がシングルスよりもずっと好きだった。

一人で駆け回るには、コートはすごく広く見えて、いつもどこかしら逃げたいような絶望的な気分になった。
ダブルスの運動量がシングルスに比べて少ないということは全くないのだけれど、私は、ダブルスの時の方が、体がよく動いた。

シングルスの時よりも少しだけ広いコート。そこを守るのは自分だけじゃないし、相手のコートを攻めるのも自分だけじゃない。パートナーに任せていい部分、というよりは、任せるべき部分、がある。時に私がパートナーをカバーし、時にパートナーが私をカバーする、そういうものなのだけれど、一緒に闘うパートナーがいるダブルスの方が、シングルスよりも、ずっと好きだったし、得意だった。

あれ、じゃあ、なんで、バドミントン以外のこととなると、いっつも自分で全部なんとかしようとしてたのかな〜。そして今でもそういう傾向が、まま、あるのかな〜・・・

ダブルスの方が、好きだし、得意なのに。私。

久しぶりにAとバドミントンがしたいな、とふと思うとともに(でも、もうペアを組んでバドミントンをすることは2度とないだろう)、あの快感、人生の他の部分でも味わってみたいな、味わえるんじゃないかな、そんな気がしている。

Aは、私と同じような快感を感じていたのだろうか。彼女は、人生の他の部分で、自分たちが打ったショットの作りだした流れに乗る快感とも言える「あの」感覚、を味わったことがあるだろうか。いつもペアとしてチームとして一番いい体制でいられるように、動き続ける、そんな経験を、バドミントン以外でしてきただろうか。

一緒にバドミントンをするのはきっともう無理だけど、久しぶりにAに会って、あのころの話がしたい。


posted by coach_izumi at 06:03| Slices of My Lifeー徒然ノート