2014年12月31日

Nothing lasts forever.--すべてのことは「終わる」。

父の死を知ったのは、親戚から私の携帯にかかってきた電話でだった。たまたま手が離せなくて夫が最初に電話に出た。すぐに電話を代わって親戚からじかに父の死について聞いたときは、不思議と、それほどショックではなかった。そして頭のどこかで「これで終わったんだな・・・」というような、ぼんやりとした感覚を持った。

母の臨終の際、母はとても苦しんだ。断末魔の苦しみとはこのことかと思うほどに。その断末魔の苦しみが続いていた間、私はいくつかの言葉を母に言い続けたけれども、そのうちのひとつが「もうすぐ終わるよ。もうすぐ全部終わる。」だった。

肉親や身近な人間の死を通じて人は様々なことを感じるものだと思うが、私が両親の死を通じて感じた大きなことのひとつは「すべてのことは終わる」だ。

それは死すなわち生命の終わり、に限らない「すべてのこと」。

父や母の闘病の苦しみや葛藤、そしてそれに関わった私自身の苦しみや葛藤。その最中にいる時は、不思議なほど、そういうものが「終わる」とは思えない。余命が告げられているというのに、なぜか不思議と、「終わる」ように思えない。でも、必ず、終わるのだ。すべてが。

「“終わる”って知ってたら、もっと違う風に(=ひょっとしてもっと楽に?もっと優しく?)できたのに」などと思ったことがある気がする。でも、おいおい、終わるって、知ってたでしょ?って感じだ。だってそれが当然なのだから。でもなぜかそんな至極当たり前のことが、分かっていても、感じられなくなる。苦しみや葛藤や、そして喜びの渦中にいると。

Nothing lasts forever.

20年以上前にどこかで買ったペーパーウエイトに書かれている文字。
デザインも気に入ったのだけれど、この言葉にピンときて購入した。このペーパーウエイトを、私はいつもそばに置いていた。
だからこの言葉は長い間ずっと私の中にあった。
でも、“腑に落ちる”ようになったのはやはり父母の死を経験してからだと思う。

父母の死を経験してから、別に死にまつわる諸々のことに限らず、また、ネガティブなことに限らず、「すべてのこと」は終わるのだ、と腑、すなわち臓腑・腸の部分で感じることができるようになった。あるいは、感じてしまうようになった。

たとえば、私は、9才の息子を見ていても「この子もいずれ年とって死んじゃうんだよね」などと思ったりする。
家族や友人との楽しい時間の最中にも、もう2度とそういう時間がもてなくなる時のことが必ずと言っていいほど心をよぎる。

かと言って別に厭世的になっているわけではなく、「すべてが終わること」が「当たり前のこと」であることを感じることが習慣になっている。


先日、ある女性の友人の話を聴く機会があった。コーチとしてではなく、友人としてだ。その友人いわく「自分は今霧の中にいる」ようなのだそうだ。どちらの方向に進めば良いのか、分からない、ということ。そこで、明確な方向性を見い出したいので、助言が欲しい、ということだった。

私以外にも二人の友人が話を一緒に聴いていて、彼らは彼女が「明確な方向性」を見いだして霧の中から出て行くことを助けるために、色んなことを彼女に言ったりあるいは彼女に質問したりしていた。

その会話を私は最初のうちは黙って聴いていた。どちらの友人も良いこと言ってて、ふんふん、なるほど、と思う一方で、私の中にもやもやとした、まさに霧のような違和感がわいた。そしてその「違和感を自分で確認」したあとで、私が言いたくなって言ったことは、彼女が「明確な方向性を見いだして霧の中から出て行くことを助けるため」のことじゃなかったと思う。

私は「あのさ、なんか霧の中にいることがすごく嫌みたいだけど、そっちの方がどっちかっというと問題なんじゃないの?」みたいなことを言った。「そりゃ、長い人生、霧の中で過ごすことだってあるよ」と。「いつも全部クリアーでうまくいくわけじゃないんじゃないの」と。ちょっとキツかったかな〜、とあとで少し思ったけど。でも続けた。

私は「霧はそのうち晴れるよ」と無責任にも(?)言い放った。さらに「あがこうが何しようが、霧が晴れるかどうかには関係ないよ」と。

きっと、私がその時言いたくなって実際言った上記のことは、半分ほんとで半分ほんとじゃない、のだと思う。ま、ケースバイケースってこともあるしね。

でも、言いながら、やっぱり「どうこうしようがしまいが、霧が晴れるかどうかには関係ない」という感覚が、今の自分には深くあるのだなあ、と思った。

一方で、霧の中に迷い込んだら、自分だってそこから抜け出よう、抜け出よう、とあがく傾向があるとは分かっているので、余計にその友人に言いたくなったのだと思う。「抜けようとばっかりしないで、少しは霧の中にいる体験を大事にしなよ!」と。
ほとんど八つ当たりに近い。

自分はなかなかできないくせに、勝手な友人である。

Nothing lasts forever.
悲しいかな(嬉しいかな?)すべてのことは「終わる」。
つまり、どんなことであれ、同じ状況が永遠に続くことはない。
絶対に、ない。

だからと言って、じゃあ何もしないでぼ〜っと霧が晴れるのを待っていればいい、というわけにはいかないことが多いとは思うし、何かをすれば少しは霧が早く晴れるのかもしれないけど。

やっぱり、そんなに大きな違いはないんじゃないかな〜、なんて思う。

どうあがこうとも、嵐が私たちを襲うことがあり、そして霧が私たちを包むことがあるように、思いがけない晴天の日の訪れも、自分でどうこうできるものじゃない気がする。

そして嵐も雨も霧も、晴れの日も、必ず、「終わる」。
私の経験では、その「終わり」は、思いがけなくて、あっけない、ってことが、結構多い。

だったら、なかなか簡単じゃないんだけど、霧から抜け出ようとじたばたするよりは、霧の中にいることをじっくりと体験した方が、エネルギー的にも「エコ」だと思うし、実は霧が早く晴れるんじゃないかな、と思う。


・ ・・とは言え、な〜んてことは、例えば、母や父が闘病の苦しみや葛藤の最中にいる時や、そしてそれに関わった私自身が苦しみや葛藤の最中にいる時は、なかなか思えなかったわけで、じゃあ次の時はもっと「うまく」できるかな、と思っても、もう二人とも死んじゃったので試してみるチャンスもないのだけれど。


posted by coach_izumi at 13:34| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと