2015年1月の帰国。最後のお仕事は、福島県南相馬にて行われたシンポジウム「水俣を知る。そして福島へ」への参加でした(発表などはしていません)。このシンポジウムは「震災を語りつぐ会」が主催して熊本大学の「福島と水俣をつなぐプロジェクト」、みなみそうま無線空想局、つながろう南相馬!らの組織が共催して行われたもので、南相馬の人たちに水俣のことを知ってもらう、水俣に出会ってもらう、という趣旨で開催されたものでした。
私が主に活用してきた研究手法は「語りの分析」ですよ・・・ということを何かのついでに熊大の関係者の先生に話す機会があって、それならぜひ今後の(共同)研究への足がかりとして、とお招きいただいた次第。
主な講演が3つあって、そのうちふたつが水俣(病)の「語り部」、と呼ばれる方たちによるものでした。
お話の内容は、豊かで、重くて、けれど押し付けがましくなくて。講演者の方たちは水俣(病)の語り部をしている、ということに対して色々な誹謗中傷を受けるということについても触れらていましたが、それでも語るべきである、と覚悟を決めて語り部をつづけていらっしゃるとのこと。ここにはどう書き始めたら良いのかもわからないほどの葛藤や苦しみや悔しさや悲しみを乗り越えた上での「希望」を福島の方達に対して語ろうとする真摯な姿勢に、ただ頭が下がりました。
お話していただいた色々なこと、書ききれませんが、講演者のお一人が言われた「100人いれば100の水俣病がある。同じ出来事・事実であってもその体験はみなひとりひとり違う真実・物語がある」という言葉が、とても私に響きました。そして僭越ながら、私も(震災に関して、という限定的な意味ではなくて、「出来事・事実と体験・真実」の違いやその関係性に対して)共通の考えを持っている、と思いました。
そしてもうひとつ、とても印象に残った言葉は、講演者の方が聴衆からの質問に答える中で言われた言葉で、
「自分が生きてる間に、なんとかチッソを許す努力をしようとしている」
という言葉。
本日の、そしてこの短期間帰国中の、最大のノックアウトをくらった気分でした。でも、このノックアウト、受けることができたのは、幸運だったと思います。
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朝早く東京を出発して夜遅く東京に戻るという「日帰り」旅行はちょっとキツかったけど、東北新幹線に乗るのは大学2年生の時に東北大学に通っていた友人のところに遊びに行っていらいなので、ちょっと楽しかった。「ゆべし」も駅で買えたしね。新幹線で福島へ、そのあとバスで1時間半ほどかけて南相馬へ山を越えていきました。福島は東京よりもずっとずっと寒くて、風が強くて、バスで超えた峠は雪深くて、熊本でも東京でも全く必要なかった帽子と手袋を持ってきて良かった!とつくづく思いました。行きは天気が良かったのですが、帰りはちょっと吹雪いたりして、バス停から駅までのほんのちょっとの道のりが、さ、さむかった〜〜〜。
だけどこの冷たい風の感じと、タクシーのドライバーさんの訛が、中学高校時代を過ごした茨城県の感じとやっぱり似てて(隣県だもんね)なんか、ほのぼのと親しみを感じて嬉しかった(あ、寒いのはそれどころじゃなかったけど^^;)。
明日はアメリカへ、機上の人となります。タイトなスケジュール&若干お疲れ気味だったので、このやく10日間の帰国の中で得たものが、まだ整理しきれません(てか、その前にスーツケースの整理だろ)。偏西風に乗って12時間の飛行時間。その間にゆっくりと振り返りたいと思います。
2015年01月17日
「水俣を知る。そして福島へ」のシンポジウムに参加して
posted by coach_izumi at 23:18| セミナー・講義・講演