マンハッタンのKorean Town と呼ばれるストリートは金曜日の夜とあって大変な賑わいでありました。どこもかしこも混んでいて、どのお店の料理もおいしそう・・・・そんな賑わいとおいしそうな風景を尻目にそのストリートを歩き、向かった先は、インターンシップをメインにした留学を斡旋する某・企業のオフィス。韓国からNYに留学中の学生さんたちを対象としたレゴ・シリアスプレイ・ワークショップを行いました。
今回の内容は、まず自分の好きなことや得意なことや強みについてモデルを作り、語り、その最初のモデル(そのものやその一部)を組み込んだ形で「25歳の時になっていたい自分」のモデルを作りそれについて語る、というもの。似たデザインでやはり学生さん相手のワークショップは経験したことがあるものの、下記の事情で、若干緊張しつつ会場に向かいました。
というのは、今回は、学生さんたちの英語(表現能力)がレゴ・シリアスプレイでの「語り」を妨げてしまうレベル・・・かも?・・・という心配があったので、このワークショップの企画者の方と相談して、参加者同士で語り合う部分は韓国語でやりましょう、ということになっていたからです。そっちの方がおそらくは「盛り上がる」であろう、と。
外国から米国への語学留学生ということで、英語の勉強のためにはもちろん英語で行うのが良いのですが、今回のワークショップの企画の意図はそこではなかったので。
参加者15名を5名×3卓に分けて、それぞれのグループで語り合って質問し合う他に、最初の「練習」段階や折々で、参加者の方を1〜2名選んで全体に対して語ってもらったり私の方から質問したり・・・という部分も全て韓国語にて。
あ、ちなみに、私は韓国語は「全く分からない」レベル(だから私のファシリテーションと質問だけは英語。)
これって、これって、かなりチャレンジ〜〜じゃない???
だって、参加者同士で何しゃべってるか分かんないんだよ??(笑。って、笑ってる場合じゃない?)
少人数のグループをファシリテートするときは、参加者一人一人の「語り」にじっくりと私自身が耳を傾けてワークショップを進めていきますが、大勢・複数テーブルをファシリテートするときは、それは不可能。語りを聞くというよりは、「場」(のエネルギー)を聞くというか見るというか感じるというか、そっちの割合が高くなります。(もちろん、前者の場合であっても、「場」((のエネルギー))に心を向けることは大切だけれど。)「このテーブルは順調かな?なんか滞ってるかな?」みたいな感じで。でも、ワークショップ会場を歩き回りながら漏れ聞こえてくる言葉の端々はやっぱり大事な手がかりになることがある。
でもでも、今回、ま〜〜〜〜ったく分かんないんですよね。韓国語。中国語なら少し分かるんだけどな。韓国語、全然勉強したことない。そのこと自体は別に自慢できることでもなんでもないんだけど(隣の国の言葉なんだから、ちょっとは勉強しとけっちゅうの)、とにかく、まったく分かんないという厳然たる事実がイマココにあるわけでして・・・
で、話しを戻すと、私は、だからこそ、やってみる価値があるかも、とも思ったのです。なんか、「どうなるんだ?一体?」といういような、好奇心というか冒険心みたいなものが、ふつふつと湧き出てきてしまったのです。
もちろん、こういう自分の好奇心と冒険心を満たすために韓国語でやってもらってみよう、と思った訳じゃないです。企画者の方と話す中で、色々なことを勘案して、これは韓国語でやってもらった方がいいね、という同意にいたったのです。
そしてその時に「うわ〜、でも、ちょっと無理じゃ〜〜ん??」とは思わなかった。上述したように、複数テーブルをファシリテートする場合に一番大事なのは、一人一人の語りの内容や言葉ではないということは体得していたので、いわば場のエネルギー(だけ。笑)を見て聞いて感じてファシリテートする場合の極端(?)なケースになるだろうな、と予想したのです。でも、その「予想」だけだとやっぱりやろうとは思わなかったかも・・・・「うわ、うわ、これって、どうなるわけ?私、韓国語できないし、学生さんたちも、そ〜んなに英語ができるわけじゃない、というこの条件で!?!?」ということに対して、なんだか好奇心が湧いてしまったのでありました。それに、このパターンでワークショプが成立するってことは、参加者が自在に操れる言語を私が必ずしも習得している必要がない、ということ・・・これって、これって、なんか、すごく「広がる」気がする・・・・なんて・・・^^;;
通訳の方にもアシスタントとして同席はしていただいたのですが、私が当初心づもりしていたように、参加者の語りを時々(私のファシリテーションのために)通訳してもらう、というようには進行しなくて(これは私の方の打ち合わせの仕方に落ち度あり)、私の英語を彼女が学生さんたちのために時々通訳する・・・という感じに。ただ、学生さんたちは私の英語自体はほとんど分かっていたようなので、通訳としてというよりは、学生さんたちにより近い立場のアシスタントの一人として私を助けてワークショップを盛り上げるために一役も二役も買ってくれました。
さてさて、で、どうなったかというと。
たとえば、参加者1〜2名に、参加者全員の前で自分のモデルについて語ってもらうような時にも、そしてそれぞれのテーブルで参加者同士で語ったり質問したりしている時にも、私はひたすらに「必ずモデルにいつも触っているように、ひとつひとつのブロックを指差して話したり質問したりするように」(←レゴ・シリアスプレイ・メソッドではとても大事)、英語とジェスチャーを使って伝え続け、参加者の様子についてもその点に注意を払い続けました。そして熱心な様子で話していたり聞いていたりする学生さんにはその「熱」をエンパワーできるような声かけを、ちょっとつまんなそうにしていたりとまどっているような感じの学生さんには、瞬間マンツーマン、みたいな関わり方を英語で試みてみました。でも、とにかく、彼らが「何を」話しているのかは、基本的にそして全体的に、分からんままでありました(笑)。
・・・結果、参加者はみなちゃんと、ブロックの1ピース1ピースを指しながら、時にモデル全体の形についてジェスチャーで示しながら、語って質問していて、なんか、それなりに、結構盛り上がっていた、と思うんですよね。
みんなの前で話してくれた参加者の一人は、私に向かっても一生懸命韓国語で話してくれました。ちゃんとブロックを触りながら、ピースを指しながら。
・・・いや、だから、何言ってるのか全然分かんないっちゅう〜の、と思いつつ、私もふんふんとうなづいてみたりして。
つまり、ワークショップ自体は、滞りなく進行したのです。驚くべきことに。ついでに言うと、参加者は「盛り上がって」いました。楽しんでくれた、という点においては、多分、まずまず成功。
ただ、合間合間に私が英語でした質問に対して返ってきたいくつかの回答から推測するに(あくまで推測)では、う〜ん、インパクトの「深み」がいまいちだったのかもしれないなあ・・・いう感もぬぐえず。一方、参加者によっては、その表情とか私に向ける視線やうなづきの感じから、また実際に(英語で述べてくれた)感想コメントからも、「あ、深いとこまで響いてるかな??」と思えたこともかなりありました。ただ、いかんせん、「英語だと、参加者の語り表現に限界があるのは確かだな」ということもあったので・・・私に言っていることと彼ら同士で話をしていることは、量も質も同じじゃないということは明らかであり・・・つまり、判断できない!
・・・というようなことも含めて、「ほんとのところは、どうだったのか、詳細はやっぱり分からない」というのも正直なところ。そして「存外うまくいった部分もあるし、思った以上に難しかった部分もある」というのが私個人の感想。
どんなワークショップも手探りで進めて行く訳ですが、今回の「手探り感」はやっぱり大きかった。でも、その「手探り感」がワークショップの成否を必ずしも決めるわけじゃない、というのも逆によく分かりました。もちろん、参加者と私の相性や、参加者の性質を無視することはできませんが、結局は、ファシリテーター(=私)の「力量」次第だよね、というのも、強く感じたとでも言うのでしょうか。
学生さんにはワークショップ後にフィードバックを書いてもらっていて、企画者の方がそれを集計してくださることになっています。今は、どういう結果が出てきてもそれを向かい合おう、と待っています。
2015年02月09日
韓国人留学生とレゴ・シリアスプレイ
posted by coach_izumi at 08:03| Workshopsーワークショップ