自分の母親との関係が苦しい、その葛藤を抱える女性が多くて、それは子供の頃の親子関係に起因している場合がとても多い。
ということを、公私の経験を通じて最近よく感じます。
プライバシーに関わることなので個々のケースについてこれ以上のことをこの場で書くつもりはないのですが、
そういうお話を聞いて、聞いて、聞いて、聞くほどに、
すぐに具体的に私が何かできるわけではないんだなあ、ということを痛感することがほとんどです。
特に私自身は母親との関係が概ね良好だったと思うので、そういう方の気持ちに真に寄り添うことも
できないのだろうと想像するので、余計そうです。
(まー人間同士だからそれなりに色々あったにしろ、
概ね良好だったと思いますし、それがすごく珍しいことだったんじゃないかとすら感じる今日この頃です。)
ただ一つ、私が言えることとして、お話を聞いた最後にお伝えるすことが多いのが、
「親と子供の間で何か問題があった時、その責任は、子供じゃなくて親にあるんだと思う」
*子供がまだ「子供」と呼ばれる年齢であった場合
ということです。
これは一人の親としての私の体験・実感でもあります。
親には親の苦しみも葛藤もある。だから「親が悪かった」と一概には言えない場合もある。それは一人の親として私も実感するところです。親子間の問題は親子だけの問題ではない様々な要素が関わる「社会問題」でもあるので、あくまで子供と親の二者を比べた場合に、ということです。だからこれは「親として葛藤して苦しんでいる」人に向けてのものではなく、「子として葛藤して苦しんできた(そして今も葛藤して苦しんでいる)」人に対しての私の言葉である、ということは特記しておきたいのですが。
でも、何にせよ、何れにせよ、子供には「何の責任もない」ですよね。
だってあなたは、子供だったのだから。親の庇護のもとあるいは支配のもとにいた、
親に愛されたい認められたいと当たり前に願った、子供だったのだから。
あなたには、何の責任もない。全く、あなたの、せいじゃない。
いろんな話を聞いてきましたが、親子関係に恵まれてきた(と思う)私にはそういう葛藤や苦しみは
本当にはわからないと思います。でも、だからこそ、てらいなく言えるのだと思います。
「子供だったあなたには責任ないでしょ。親の責任でしょ。当たり前じゃん」と。
そしてこの私の、「そんなのあったりまえジャーン」的な言葉に、
「そう言ってもらえてホッとした」と言ってくれる人が、思いのほか多くて、実はちょっとびっくりしてます。
「私(の性格や言い方や接し方など)が悪いんだと思い込んでいたから、ホッとした」と。
え、あなたじゃないよ、親だよ。だってあなたは子供だった。親は大人でしょ。
そんな「あったりまえジャーン」なことが、当たり前じゃなかったんだな、当たり前じゃない人、いっぱいいるんだな、と思う今日この頃なのです。
あなたがどんな子供であったにしろ、彼女がどんな母親であったにしろ(どんな状況であったにしろ)、
それは、子供であったあなたの責任ではない。昔も、今も。
2019年03月21日
それは子供じゃなくて親の責任だと思う
posted by coach_izumi at 00:35| Words of the Dayー今日の言葉