2019年09月23日

母の十三回忌を前にしての雑感、そしておはぎ

亡くなる前にはガンが脳に転移していて「まともな精神状態」ではなかった母だったが、亡くなる数日前に突然思い立ったように「みんなに言っておかないと」というので、私は病院のベッドの側でメモをとった。「みなさんありがとうございました。大変お世話になりました。楽しかったです。可愛い可愛い孫をよろしくお願いします。私は一人で逝きます。一人でいかせてください。め〜め〜しないで(メソメソするなの意味)。」今手元にすぐそのメモが出ないので(とっておいてある)正確ではないが、そんな言葉を母が言って私は書き留めた。それを葬儀で読んだ(全く頼りなかった喪主の父のかわりに私が挨拶した)。

「私は忍耐とか我慢とか根性とか、そういう言葉が大嫌いなのよ」と、生前元気な頃に言っていた母。それはきっと母の人生が忍耐と我慢と根性の連続だったからだ。そういうことで溢れていたからだ。たとえそれ以上の喜びがそこにあったかもしれないとしても。

私が風邪を引くと心込めて看病してくれたが、私がふにゃふにゃと弱音を吐くと「メーメーするな」と言った。母は私が自分を可哀想がることを嫌った。おそらく母が一番嫌いなことは「自己憐憫」だった。様々なことで母と父はとても違っていたが、そこは似ていたと思う。だから私は、自分が自己憐憫の感情に陥ることが好きじゃないし(よくあるけどね)、人がそうしているのも好きじゃない(まあその人が好きでやってることなので、放ってはおくが)。

おそらく生涯人に甘えるこということができなかった母は、それを埋めるようにだったのかもしれないが、私には甘えることをさせたと思う。「甘やかしてはないけど、甘えさせることはした」と言っていたのは母自身である。実際、他の子供の誰もが買ってもらえるよう安いおまけのようなおもちゃは買ってもらえなかったし、他の子供がみんな見ているような子供向けのテレビも見せてもらえなかったが(親が自分の見たいものを見るが優先だった)、私は中1くらいまで母の膝枕でゴロゴロ甘えて寝転がっていた記憶がある。

思春期特有の理不尽としか思えない(苦笑)振る舞いをする息子に対して色々な思いを抱きその時々で色々な対応をするが、時として(いつもじゃないです)冷静に対応できるのは母のことを思い出す時である。わがままに自分勝手に振舞っているように見える息子を見て、私はもっとひどかったなあと思う。母がどれだけ私を思ってくれていたのか私に尽くしてくれていたのか、そしてどれだけのことを呑み込んでいてくれたのか、ちっともわかってなかった。当たり前だとも思わないくらい当たり前に思っていた。それに比べれば、はっきり言って息子の思春期ぶりなんて可愛いもんである。巡り巡って、今こうやって今度は私が時としてちっとも報われてないような気持ちになったり腹立出しいような気持ちなるのも、それは致し方ないのだと。だから、母に対する感謝を思い出せる時に、私は冷静で我慢強いバージョンの母親になれる。

もうすぐ母の祥月命日。十三回忌である。干支が一回りしてしまった。まるで夢のようで、母の声も、もう、よく思い出せない。あの人は、本当に、生きていたのかな?とすら思えてしまうほどだ。時の流れは、優しく残酷だ。

今日は時間が結構押しているが、彼岸に亡くなった母を忍ぶ為にも、ちょっと無理してもおはぎを作りたいなと思う。母がよく作ってくれた、そして母を含む家族皆が大好きだったおはぎ。糖分と炭水化物しかないこの恐ろしく不健康にも思える食べ物であるが(笑)、九月のお彼岸には欠かせない。作らないとなんだか落ち着かない。本当は昨日夫が小豆を買ってきてくれるはずだったがまさかの買い忘れ(笑)。夫は「申し訳なくて」と言ってすぐに買いに戻ると言ってくれて(いい人だーちなみに彼は母の命日だから私が作りたいと思っていると分かっていたからそう言ってくれたのである。多分)、そんなことはしなくていいと止めたのであった(日系のスーパーまで片道高速で30分かかる)。が、今日息子を床屋に連れて行くついでに買ってきてくれるということで、夜になってしまうと思うが無事になんとか作れそうだ。夜に食べるのは避けたかったんだけどね(笑)。

posted by coach_izumi at 08:19| Slices of My Lifeー徒然ノート