2014年05月24日

「情報の授受」か「語り」か

6月の帰国の際、縁あって、熊本のある私立大学の授業にゲストスピーカーとして呼ばれています。私は大学の研究者だったころの後半、「ヘルスコミュニケーション」と呼ばれる分野での「語り」というものの研究に携わっていたこともあり、「病の語り」というテーマで話をして欲しいという依頼です。

それで、私自身が話しやすいのでスライドを作っていて、そのうちの一枚がこれ。まだ作業途中なのですが、この自分で書いたスライドを見ていて・・・・

医療従事者と患者・クライアント間のコミュニケーションについて、前者にとっては「情報の授受」であっても後者にとっては「体験の語り・共有」であるから、そのギャップがうんぬん、ってことなんですが・・・(もちろん、必ずしもこのようにばっさりと2極化できないのですが、ま、「病の語り」のポイントを分かりやすく説明するために、こんな感じでわけてみたんですが・・・)

これって、医療従事者−患者/クライアントだけのことじゃないよね〜、と、あらためて感じてます。

卑近な例ですが、例えば我が息子との会話。
「明日までの宿題やったの?」と聞く時、私は彼が実際に宿題をしたかどうかという情報を手に入れたいのですが(そのいかんによって、その日のその後のスケジュールが変わってきたりするため)、それに息子が「・・・」とか「うるさい」とか「まだ」とか「やったよ!!」とかとにかくなんか回答するとき、息子は、必ずしも「私が求めている情報を私に提供しようとして」話をしているんじゃないんだよね・・・・って。

逆もまたありますが。私がただ「語りたい」ときに夫が(あ、これ、あくまで「例」ですよ!「例!」)それを「情報」としてしか受け取らない、とかね。(そして私が「いや、私は語りたいのよ、分かって欲しいのよ〜!」といらつくが夫はきょとん、とか。あ、例ね、例^^;;)

実は情報の交換、だけで終わる会話とかコミュニケーションってほとんどなくて、そこにはそれ以外あるいはそれ以上の何かが生じているんですよね。なんて、我ながら「知ってるよ」ってことではあるのですが、でも、はい、よく忘れてます。

さらには、それが「情報の授受」であれ「体験の共有」であれ、自分がその時欲しているものを相手が必ずしも望んでいるわけではない、っていうこと、よく、あるんだけど、やっぱり自分の都合ばっかりが見えちゃうんですよね(なぜあなたはそれを「情報」としてしかとれえないの〜〜っっ。とか。相手にしてみれば、え、だって・・・って感じですよね。あ、例です、例。)

ほんと卑近な例だけど、ごめんよ、息子&夫(あれ、「例」じゃないのか??苦笑)、と思う土曜の朝・・・です。


・・・で、あれ、どういうわけか、問題のスライドの画像がアップできないです(汗)。以下フェイスブックの方にアップするので、お手数ですが、そちらを見てください(汗、汗)。

https://www.facebook.com/pages/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0-%E8%88%B9%E5%B1%B1%E5%92%8C%E6%B3%89/567996563266088