2022年01月15日

我が家の初釜(のようなもの)と不機嫌な息子と戒名をめぐる雑感

延び延びにしていてた我が家の初釜(みたいなもの)を先日家族で行いました。その日に予定されていた息子の陸上競技会がいきなり朝キャンセルに(多分天気予報のせい)なって、てことは、もう、今日するしかないね、と思って決行(ってほどのことでもないけど)したのでした。その競技会に向けてかなり気合を入れていた息子はすごくガッカリして、お茶の間も終始不機嫌だったけど(珍しいこっちゃない)、中座する時にちゃんと「ありがとう。美味しかったです」と言ってったんで、まあ、いいんでないかい?w

お菓子は姑が日本から送ってくれた、松坂の銘菓、「老伴(おいのとも)」。もなかに羊羹!という実は滅多にない組み合わせ。そしてお正月の和三盆。可愛い。

今回の初釜は、虎、富士山、鶴がテーマ??のお席(ってほどじゃないんだけどね。息子のスキー置いてあるしw みんな普段着以下だしw)としました。

今年は寅年で、富士山も鶴もおめでたいから、だけど。実は父も寅年でした。だから虎が小虎を抱いている香合を見つけた時に、父が赤ちゃんの私を抱っこしていた写真を思い出してしまって、買ってしまいましたw。
そして父の名前には「富」の文字が入ってて、戒名には富士山を意味する「富岳」という言葉が入っています。山男だった父らしい戒名をお坊さんがつけてくれたってことかなと思います。母の名前には「鶴」の文字が入ってる。だから、なんとなく、富士山と鶴が一緒にあると、父母と一緒にお茶席にいるような・・・とまではいかなくても、まあ、なんでしょうね、お正月にそんな風に遊んでみるのもまたいいかな、と思ったのです。そんな母の気持ちなど知る由もなく、ずっと不機嫌だった息子だけど、やっぱり、まあ、いいかな、と思いました。

戒名なんて、くだらないしなんでそんなもんにお金払うんだよ、と思っていました。でも、まあ、拒否るほどの確固たるポリシーがあるわけでもなかったし、エネルギーも時間もなかったので(肉親が死ぬと忙しいのである)、世間に流されw、まずは母が亡くなった時に、ふつーに、戒名つけてもらってお位牌作ることになりました。だったら、じゃあせっかくだから(どうせお金払うんなら?w)、と思って、母の戒名をつけてくれたお坊さんに「美」という文字を入れてください、と頼みました。母が美しい人であった、という私の思い入れをだったらせめて反映させとくれ、と思った次第ですw。そうしたら、お坊さん、本当に入れてくれました(驚)。親戚が皆「良い戒名だ。(好きな字を入れてくださいなんて、どうかと思ったけどw)言ってみるもんだな(笑)」って感じで言ってくれました。本当に、「美」の文字だけじゃなくて、生前の母の人となりを表す、母らしい戒名だな、と思いました。死後の世界なんてものがあるとは信じ切れないけど、死んでしまった母に付けられた新しい名前が、折々に私を慰めてくれたことは間違いありません。その戒名は「死んでしまった母」の存在が全くの”無”じゃないかのような、何かの意味があるような、そんな錯覚を私に抱かせるには十分以上でした。

だから、父が死んだ時に父の戒名に「富岳」とお坊さんが付けてくれた(←これは別に頼んでない)後に、以前は全く(w)思い入れのなかった富士山に、少し感傷的な気持ちを抱くようになりました。
そんなこんなで、鶴のモチーフとともに富士山のモチーフのものも、なんとなく、集めるようになってしまった私なのであります。


posted by coach_izumi at 02:10| Acknowledging Yourselfー自分を認める

息子と英語と日本語と私

先日、陸上の練習から息子をピックアップして帰宅途中に車の中で。
息子: お母さん、〇〇(友達の名前)のお母さん、鹿を「撃って」、車が今一台しかないんだって。
私:・・・それ、鹿をhitしたってこと?この場合は「ぶつかる」とか「衝突する」だよ。〇〇(友達の名前)のお母さん、鹿を「撃って」(*息子はhit=>「打って」と言ったつもりだったんですね)車をダメしないだろ(爆)。
息子: .....(自分の誤りに気が付く&ちょっと恥ずかしい&だから反撃)お母さんだって、この間、COVIDに撃たれてたじゃん!!」
母: まー、そだねー(爆)
はい、「ワクチン打った?」と聞こうと思って、Did you get the shot? じゃなくてDid you get shot?って聞いて、「(銃で)撃たれた?」て言ってたのは母ですが、間違いの性質が違うと思うんだけど。

ーーー
息子はかなり完璧に近いバイリンガルだと思うけど、こういうことが時々ある。例えば、musicという単語に「楽譜・譜面」という意味があること、私はずっと知らなかった。(「楽譜・譜面」はscoreだと思っていた。)が、楽器をやってる息子とその周りは「楽譜・譜面」を指してmusicという単語をよく使うみたい。で、彼はそのmusicを日本語に訳す、という作業を頭の中でしてるようで「あ、家に”音楽”忘れた」とか「お母さん、そこの”音楽”取って」などと言う。これは「楽譜」で「音楽」とは言わないよ、と何度か言ったんだけど、楽譜すなわちmusicという単語を使う頻度が多いせいか、そのまま彼の頭の中では”楽譜というモノ=「音楽」という日本語”となって定着しきっているようで、本人に直す気がないようなので、もうほっておくことにしてる。(ただ「試験を取る(<=take)」は「試験を受ける」と言うようになった笑笑)

「楽譜」というのは(例えば「二酸化炭素」とか「窒素」とか「連立方程式」とか「国会議事堂」のような言葉と比べて)そこまで難しい日本語ではないと思うが、「楽譜」という言葉は彼の日本語語彙リストには入ってないらしい。どうしてなのかなー、と考えてみて、それは日本語補修校では音楽の授業がないから音楽関係の日本語のインプットがないからかな、と推測するに至った。

そして「風林火山」とか「獅子身中の虫」とか「遺体」とか「死亡推定時刻」とか「動機」なんて言葉を息子がちゃんと知って時々偉そうに使っているのが「名探偵コナン」のおかげであることについて、改めて感じ入るのであった。
posted by coach_izumi at 02:05| Acknowledging Yourselfー自分を認める

2019年03月21日

それは子供だったあなたじゃなくて親の責任だと思う

自分の母親との関係が苦しい、その葛藤を抱える女性が多い。
そしてその苦しみや葛藤が、子供の時の親子関係に起因している場合がとても多い。
(私の偏った体験から言うと、「うわー、この人、デキる!素敵!」っていう女性で、結構います。)

そしてその苦しみと葛藤は、そういう女性たちの今の生活や人生にーー深刻だったり軽微だったり、顕在的だったり潜在的だったり、重荷になったり糧になったりーーそのありようは様々なのだけど、影響している。

ーーということを、公私の経験を通じて最近よく感じます。
プライバシーに関わることなので個々のことについてこれ以上のことをこの場で書くつもりはないのですが、そういうお話を聞いて、聞いて、聞いて、聞くほどに、

私が何かできるわけではないんだなあ、ということを痛感することがほとんどです。
特に私自身は母親との関係が概ね良好だったと思うので、そういう方の気持ちに真に寄り添うこともできないのだろうと想像するので、余計そうです。
(まー母と私だって、人間同士だからそれなりに色々あったにしろ、
概ね良好だったと思いますし、それがすごく珍しいことだったんじゃないかとすら感じる今日この頃です。)

ただ一つ、私が言えることとして、お伝えるすることが多いのが、

「親と子供の間で何か問題がある時、その責任は、子供じゃなくて親にあるんだと思う」

ということです。
これは一人の親としての私の体験・実感でもあります。

親には親の苦しみも葛藤もある。だから「親が悪かった」と一概には言えない場合もある。それは一人の親として私も実感するところです。親子間の問題は親子だけの問題ではない様々な要素が関わる社会問題でもあり、親こそがその犠牲者である場合も多くあります。

だから、あくまで子供と親の二者(だけ)を比べた場合に、ということで、これは「親として葛藤して苦しんでいる」人に向けてのものではなく、「子として葛藤して苦しんできた(そして今も葛藤して苦しんでいる)」人に対しての私の言葉である、ということは特記しておきたいのですが。

でも、何にせよ何れにせよ、子供には「何の責任もない」ですよね。
だってあなたは、子供だったのだから。親の庇護のもとあるいは支配のもとにいた、親に愛されたい認められたいと当たり前に願った、子供だったのだから。
あなたには、何の責任もない。全く、あなたの、せいじゃない。

いろんな話を聞いてきましたが、親子関係に恵まれてきた(と思う)私にはそういう苦しみは本当にはわからないと思います。
でも、だからこそ、てらいなく言えるのだと思います。

「いや、それ、子供のせいじゃないから。当たり前じゃん」と。

そしてこの私の、「そんなのあったりまえジャーン」的な言葉に、
「そう言ってもらえてホッとした」と言ってくれる人が、思いのほか多くて、実はちょっとびっくりしてます。
「私(の性格や言い方や接し方など)が悪いんだと思い込んでいたから、ホッとした」と。

え、あなたじゃないよ、親だよ。だってあなたは子供だった。親は大人でしょ。
そんな「あったりまえジャーン」なことが、当たり前じゃなかったんだな、当たり前じゃない人、いっぱいいるんだな、と思って、そのことと、あと、自分のある種の世間知らずさみたいなものにショーゲキを受けてます。

でも、たとえ私がどんなに親子関係に恵まれて育ってきたとしても世間知らずだったとしても、あるいはだからこそ、やっぱり、てらいなく、思うのです。

あなたがどんな子供であったにしろ、あなたの母親がどんな母親であったにしろ(どんな状況にあったにしろ)、あなたが味わったそして今も味わっている苦しみや葛藤は、子供だったあなたのせいじゃない。

昔も。今も。

そんなわけ、ないじゃーん。









posted by coach_izumi at 00:39| Acknowledging Yourselfー自分を認める