明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)−禅語
「明珠」は宝のこと。掌は手の平のこと。
つまり宝は(すでに)手の平にあるってことですね。
とは言え。
私たちは、自分自身のことこそ、よく分からないということがあると思います。
「明珠」が指すものが、私たちの才能なのか、性格なのか、技術なのか、財力なのか、実績なのか、経験なのか、人脈なのか、家族なのか、環境なのか、身体なのか・・・
何にせよ、自分が持っている宝は、自分ではなかなか分からない。
そしてそれ以上に・・・
「自分そのもの」が宝だということに、
私たちはなかなか気がつけないものだと、思います。
「自分を認めて褒めましょう」。
職業柄、私はこういうことをよく言います。
あ、職業柄と関係なく、言う事もあります。
「自分を認めて褒める」ことができるようになると、かなりイイです。
というか、色んな事がひっくり返るくらい変化したりします。
だから、そのためのテクニックとか、こつとか、アドバイスとか、色々、あります。
あと、練習方法とかね。
ご紹介もできますよ、はい(また後日)。
ただ、それがいつもそんなに簡単にできることじゃない、っていうのも、私自身の経験からも、分かっているつもりです。(みんながそんなに簡単にこれができたら、コーチ要らないし!笑)
だからこそ、
明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)。
ちょっと早口言葉みたいな感じで(笑)言いにくいかもしれないけど、
美しい言葉だと思います。
字ずらも、音も、美しい。
見てよし、口にしてよし、って感じです。
明珠は、「あなた」です。
「あなた」以外の人は、みんなそれが分かっている。
多分、「あなた」だけが、分かってない。
見えていない。聞けていない。聴けていない。
明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)。
「あなた」に、この言葉を見て欲しい、口にして欲しい、そしてそれを自分で聞いて欲しい。聴いて欲しい。味わって欲しい。
そんな風に、思います。
2014年04月28日
明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)−禅語
posted by coach_izumi at 23:54| Words of the Dayー今日の言葉
2014年04月25日
Life is too important to be taken seriously! –Oscar Wild
Life is too important to be taken seriously! –Oscar Wild
人生は、深刻にとらえるには、重要すぎる。
逆説的で、ひねりの効いた言葉ですよね。わたし的には、最近のヒットです。
もう少し自分らしい言葉で言うと、
「人生」ってたった一度しかない貴重なもの。あれこれと深刻に考え(すぎ)て、大切な人生の時間やエネルギーを無駄になんてできないっしょ、って感じかな。
Seriouslyという言葉、「真面目に」じゃなくて「深刻に」と訳した方が、この場合はぴったりくるかな、と思いました。
私は自分のことを基本的に真面目な人間だと思っているのですが、深刻ぶるのは好きじゃないとは思ってます(まあ、なにを指して「ぶる」かは別として)。
深刻「ぶる」時って、たいてい、自分のことを可哀想がって、まわりにもそう思って欲しい時、って感じするので。
あ、これはあくまで私の場合ですけどね。
つまりは私も、ついつい深刻ぶりたくなる時って、あるんですよ(だってほんとに深刻な問題だし!!と心の中で叫んでいる、みたいな時。笑)。
でも、そういうときって・・・
良いことない。良いことなかった。
何も解決しない。何も解決しなかった。
自分も周りも疲れるだけ。だった。
まあ、それも経験として、無駄じゃなかったけれども。
もうすぐ生まれて半世紀だし(ぎょぎょ)、どんなことであっても、どんな時であっても、自分やまわりをすり減らすようなやり方は、さすがにもうやめたいな〜と思ってます。
「深刻な」問題・・・みんな、いろいろ、ありますよね〜。
もちろん、ちゃんと対処はしないといけないんだけど。
でも、だからこそ、Life is too important to be taken seriously、この言葉、心に留めておきたいです。
人生は、深刻にとらえるには、重要すぎる。
逆説的で、ひねりの効いた言葉ですよね。わたし的には、最近のヒットです。
もう少し自分らしい言葉で言うと、
「人生」ってたった一度しかない貴重なもの。あれこれと深刻に考え(すぎ)て、大切な人生の時間やエネルギーを無駄になんてできないっしょ、って感じかな。
Seriouslyという言葉、「真面目に」じゃなくて「深刻に」と訳した方が、この場合はぴったりくるかな、と思いました。
私は自分のことを基本的に真面目な人間だと思っているのですが、深刻ぶるのは好きじゃないとは思ってます(まあ、なにを指して「ぶる」かは別として)。
深刻「ぶる」時って、たいてい、自分のことを可哀想がって、まわりにもそう思って欲しい時、って感じするので。
あ、これはあくまで私の場合ですけどね。
つまりは私も、ついつい深刻ぶりたくなる時って、あるんですよ(だってほんとに深刻な問題だし!!と心の中で叫んでいる、みたいな時。笑)。
でも、そういうときって・・・
良いことない。良いことなかった。
何も解決しない。何も解決しなかった。
自分も周りも疲れるだけ。だった。
まあ、それも経験として、無駄じゃなかったけれども。
もうすぐ生まれて半世紀だし(ぎょぎょ)、どんなことであっても、どんな時であっても、自分やまわりをすり減らすようなやり方は、さすがにもうやめたいな〜と思ってます。
「深刻な」問題・・・みんな、いろいろ、ありますよね〜。
もちろん、ちゃんと対処はしないといけないんだけど。
でも、だからこそ、Life is too important to be taken seriously、この言葉、心に留めておきたいです。
posted by coach_izumi at 23:12| Words of the Dayー今日の言葉
2014年04月24日
偶然を生かす
10年間大学の教員をしていたので、卒業式や謝恩会などと言う機会を普通の人よりは多く経験しています。そういう機会では、教員が学生に向けたスピーチor挨拶をすることが多いですが、他の教員の方が学生に向けた言葉に中には、同僚の私の心に響くものもありました。
いくつか思い出せるのですが、そのひとつは「偶然を生かせ」というもの。
この言葉を学生に送った先生は、いわゆる「スピリチュアル系」な人ではまったくなくて、むしろとても科学的、現実的、論理的な方でした。そしてひたすらアカデミック一筋、という方ではなくて、大企業に勤められた経験や転職の経験もお持ちで、どちらかというとじぐざくとした道をたどる中で研究者としても実績を積まれて、またしかるべき筋の縁もあって、国立大学の教授になった、という方でした。
もう何年も前のことなので、正確には覚えていないのですが、その方曰く、組織に入れば自分が望む部署に配属されるとか、やりたいことができるようなポジションを与えられるなんてことは、ほとんどない。つまり、私たちはあくまで組織のコマに過ぎなくて、「たまたま」何からの部署に配属されたりポジションを与えられたりする。
つまり、私たちは「偶然に左右される」存在である。
だったら「偶然を生かす」しかない。
そして与えられた部署やポジションで、その「偶然を生かしながら」その場でがんばっていれば、次の、あるいは次の次の「偶然」が来る。それまでに、自分がやりたいことを何らかの形で地道に続けてそれを発信していれば、自分が「これだ」と思うような「偶然」が必ず来る。そうしたらそれを、しっかりと掴め。
こんな感じのお話をされたように思います。
シンクロニシティ、という言葉、つまり意味ある偶然、という言葉、私も好きですし同感する部分もあるのですが、一方でそればかりに頼って「これもあれも、どれもこれも、すべて運命だわ〜」みたいになるのって、ちょっと「ふわふわ」してて、ううん・・・どうなんでしょ・・・と感じることもあるのです。
でも同じ「偶然」についてのお話であるにも関わらず、この方のお話はとても地に足のついた感じがしたし、すごく現実感があって、説得力を感じました。
社会に出て、特に会社組織に入れば、自分が望む部署や職種で働けることの方が少ないですよね。卒業して社会にでてゆく学生たちに贈るには、とてもいいお話だなあ、と思うと同時に、学生たちにはこのお話の本当の価値がまだ分からないかもしれないなあ、とも思いました。
でも何人かの学生の頭のどこかには残っているんじゃないかなと思うし、実際私の頭の中には今もしっかりとこの時の言葉が残っています。
そして時折「なるほどね〜・・・ほんとにね〜・・・」と、ふか〜く感じ入り、励まされたり、また、反省を促されたりしています。
この世に「偶然」はない。全部「必然」だ、という言い方がありますよね。
確かに、そうだとも、思う。
でも、結局は「偶然」を「生かす」ことができるかどうか、つまり「偶然」を「必然」にできるかどうか、ということじゃないかな・・・と、その方のお話を思い出して、思いを巡らせています。
あなたの人生や生活やお仕事の中で巡り会う「偶然」。
生かしてますか?
放っておいてますか?
それとも踏みつぶしてますか?
いくつか思い出せるのですが、そのひとつは「偶然を生かせ」というもの。
この言葉を学生に送った先生は、いわゆる「スピリチュアル系」な人ではまったくなくて、むしろとても科学的、現実的、論理的な方でした。そしてひたすらアカデミック一筋、という方ではなくて、大企業に勤められた経験や転職の経験もお持ちで、どちらかというとじぐざくとした道をたどる中で研究者としても実績を積まれて、またしかるべき筋の縁もあって、国立大学の教授になった、という方でした。
もう何年も前のことなので、正確には覚えていないのですが、その方曰く、組織に入れば自分が望む部署に配属されるとか、やりたいことができるようなポジションを与えられるなんてことは、ほとんどない。つまり、私たちはあくまで組織のコマに過ぎなくて、「たまたま」何からの部署に配属されたりポジションを与えられたりする。
つまり、私たちは「偶然に左右される」存在である。
だったら「偶然を生かす」しかない。
そして与えられた部署やポジションで、その「偶然を生かしながら」その場でがんばっていれば、次の、あるいは次の次の「偶然」が来る。それまでに、自分がやりたいことを何らかの形で地道に続けてそれを発信していれば、自分が「これだ」と思うような「偶然」が必ず来る。そうしたらそれを、しっかりと掴め。
こんな感じのお話をされたように思います。
シンクロニシティ、という言葉、つまり意味ある偶然、という言葉、私も好きですし同感する部分もあるのですが、一方でそればかりに頼って「これもあれも、どれもこれも、すべて運命だわ〜」みたいになるのって、ちょっと「ふわふわ」してて、ううん・・・どうなんでしょ・・・と感じることもあるのです。
でも同じ「偶然」についてのお話であるにも関わらず、この方のお話はとても地に足のついた感じがしたし、すごく現実感があって、説得力を感じました。
社会に出て、特に会社組織に入れば、自分が望む部署や職種で働けることの方が少ないですよね。卒業して社会にでてゆく学生たちに贈るには、とてもいいお話だなあ、と思うと同時に、学生たちにはこのお話の本当の価値がまだ分からないかもしれないなあ、とも思いました。
でも何人かの学生の頭のどこかには残っているんじゃないかなと思うし、実際私の頭の中には今もしっかりとこの時の言葉が残っています。
そして時折「なるほどね〜・・・ほんとにね〜・・・」と、ふか〜く感じ入り、励まされたり、また、反省を促されたりしています。
この世に「偶然」はない。全部「必然」だ、という言い方がありますよね。
確かに、そうだとも、思う。
でも、結局は「偶然」を「生かす」ことができるかどうか、つまり「偶然」を「必然」にできるかどうか、ということじゃないかな・・・と、その方のお話を思い出して、思いを巡らせています。
あなたの人生や生活やお仕事の中で巡り会う「偶然」。
生かしてますか?
放っておいてますか?
それとも踏みつぶしてますか?
posted by coach_izumi at 23:27| Words of the Dayー今日の言葉