2019年04月03日

自分も父のようになるかも、と思う(苦笑)

自宅で逝きたいと願う人が多い。でも「自宅で亡くなる人は8人に1人」だそうです。と、ドキュメンタリーで言ってるのを耳にして、私がつい「(1/8に入ったとは)おじいちゃん(=私の父)すごいじゃん」と言ったら、吹き出す息子と苦笑いする夫。「いやー、貫いたよねー、おじいちゃん」と夫が言えば「(おじいちゃんが死んでるって)電話来た時、びっくりしたよねー」と息子(私は息子がその時のことを覚えていたことにびっくりしたけど)。

「ほんと、メーワクだった」とつい言う私(今もそう思ってますが)。あ、北海道の自宅で一人で亡くなったことじゃなくて、自宅にずっといたことでもなくて、病気が分かって入院した次の日に病院から脱走をはかりショッキング(という連絡を受けまさにチェックインしようとしていたその時、私は千歳空港から苫小牧に飛んで引き返したのであった・・・その後、父は2度と、通院にすらも病院に戻ることはなかった)、その後一切の、一切の、キュアだけじゃなくてケアだけじゃなく、バイタルチェックすらも、頑として受け付けなかったことです。ちなみにヘルパーさんすらも、なかなか受けつけなかった。訪問看護師さんだって追い返しちゃうし、もうほんとにすみませんでした、って感じ。もちろん、当時私が住んでいた熊本来るなんてことも「絶対、行かない」でした(まー 暑いしねー)。

父の好きなようにして好きなように死んでくれていいと、心から思っていたが、九州に住んでいた唯一の近親者(そして最大の責任者)としては最低限のペーパーワークやここにちょっと書けないような懸念を含むいろんなことがあって、一切拒否られて本当に困ったんです。人生あんなに困ったことはなかった顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)

貫いたねー・・・て、まあ、そうとも言うかもしれんがねー、もう、まじ困ったんですけど、本当に自分勝手な父親だったよ、と思いながら、実は最近思ってることがあって。

それは、私も父親みたいになるかもなー・・・・ってこと困り

あれからもうすぐ9年。父の気持ちがなんだか前よりもよくわかる。いや、母を亡くした後の父の孤独や悲しみや、病気を知ってから父が感じた恐怖が前よりも分かる、ということではない。「絶対、嫌だ」って思ったんだろうなー ってこと。それが前よりも分かる。病院にもう一日たりとも一秒たりともいたくないと思ったんだろうなということ。知らない人に(知ってる人にも、肉親にも)あれこれ言われたり指図されたり管理されたりそのために時間を取られたり(たとえそれが病気の治療のためであっても)、そういうの、たとえ一瞬でも、一回だけでも、一切、嫌だったんだろうなー、ってこと。

父があそこまで頑なになったのは、「貫いた」だけじゃなくて、心身が普通の状態じゃなかったからかもしれない、とは思う。私を含む周りのサポートがうまく機能しなかったからなのかもしれないとも思う。思うが、でも、絶対嫌だったから、絶対、嫌だった、結局はそういうことだったんだ、それに尽きるのだと、思う。そして、それが前よりも分かる気がする。

考えてみれば、私と父は良くも悪くも性質が似ているのであった。(顔だってパーツは結構似てる。)嫌なもんは嫌なのである。誰にメーワクをかけようが実の子供がどんなに困ろうが、人様に笑われようが世間から謗られようが、嫌なもんは嫌なのである。実の(それもたった一人の近親者であった)子供に気持ちが分かってもらえなくても(それはひょっとして悲しかったかもしれないが、そんな悲しみよりも)そんなことよりも、もっと大事なことがあったのだ、多分、父には。

どんな形であれ、誰にであれ、管理されること。半径わずか数メートルの自宅の中でしかもう存在しなかったけれど、そこにはあった自由が奪われること。依存症だろうが何だろうが、好きな時に好きなだけお酒が飲めたなくなることも含めて。それが、父は、絶対に、嫌だったのである。残された時間が幾ばくもないなら、なおさらである。最期の最期にたった一人の近親者であった一人娘に看取られることもなく、居間の床の上で、綺麗とは言えない様子で、一人ぼっちで死ぬことになったとしても。

いやー 分かる。分かるよ、お父さん。
多分、お父さんのその気持ち、私が一番分かる。
だってお父さんみたいな人間は(あんまりよろしくない意味で。笑)、私の周りには私くらいしかいないもの。
やっぱり、似てるのかなー 私たち。
と思う自分がいる。

そして私もいつか、年老いた時に、なんらかの形で管理されたり自分の自由が奪われることを(もう管理されないと生きていけない状態であったりとか、自由でいるための責任を背負うこともできなくなってるなんて一切構わずに)「絶対に嫌だ」と言い張るがする。そして息子が困ったり心配したりするんじゃないかなと思う。すごくメーワクをかけるかもしれないと思う。

そしてそうなった時の自分は、コーチングなんてちゃんちゃら可笑しいぜ、おととい来やがれ、と思う気がする。笑


posted by coach_izumi at 04:56| Slices of My Lifeー徒然ノート

2019年02月20日

おっちょこちょいと呼ばれて半世紀

ニューヨークで働いていた(今も働いてるけど)夫を日本から訪ねたあと日本への帰国便に乗る時、ニューアーク空港とJFK空港を間違えた時、夫は呆れて言葉も出ないという様子ながらも「ありえないよ ありえないよ」と心底信じがたいと言う様子で、ただ繰り返していた。ごめんなさいと謝りながらも「でもまあ、なんとかアレンジできて日本に帰れそうだからよかったじゃん」と思っていた。心の中で。

オハイオ大学に留学してた時にやかんを火にかけっぱなしにして学校に行ってしまって帰ってきたらやかんは大変なことになっていて(当たり前だ)。ただ、幸いにも、被害はやかんだけだった。その時のルームメイトに「いやいや、火事にならなくってよかった。私ってやっぱり何かに守られているのかな?」とその時思ったことを正直に口に出したら「何バカなこと言ってんだ、どんなに大変なことしたか分かってるのか」とひどい剣幕で怒られた(その通りです。今はもっと大人になったので、火だけは気をつけるようにしてます。はい)。そしてそのルームメイトは私がどんなに危ないことをしでかして、それなのにその重大性がわかっていないとんでもないだけじゃなく自分が守られてるとかめでたいことを言うバカな人間だと言うことを、友人たちにまくし立てた(今は本当にその通りだと思います、はい)。でもその時は、「他は何にもなかったのにそんなに怒らんでもいいやーん・・・」と思っていた。実は。

大学院時代の親友に、よく、「和泉ちゃん、また自分を褒めてる」と言われた。さらに「そんなひどい失敗をして、どうしてまた何もなかったようにフレッシュな気持ちになれるの」と本気で不思議がられた。ちなみに彼女は、私が「人間って愚かだよねー」と呟いた時「愚かなのは和泉ちゃん。人間全部に広げちゃいかん」とのたまった才女であります。正直で率直な友人は貴重である。

そして先日、私は、日本語の語彙クイズを受けていた学生が「先生、指定した範囲と違うところがクイズに出てませんか?勉強してきたのと違う単語が問題に出てます」と訴えるのを「もー、ちゃんと勉強してないからだよー ちゃんと言ったでしょー」などと思ってあまり真剣に取り合わなかった。最初は。

そして気がついた。

げ。

違う教科書のクイズ出してた。(いろんな教科書があるので、その時々の学生の能力に応じて使い分けてるのである。)

その日のクイズで良い点を取ろうと思って一生懸命勉強してきた学生に、心から平謝りしました。そして「船山先生はおっちょこちょいです」というセンテンスを教えました。でも今はあんまり「おっちょこちょい」って言わないかも、と一応言っておきました。ところで今「おっちょこちょい」は何と言うんだろう。

そういえば、大学時代の友達に「財布をこれまで3回無くしたことがある。傘はしょっちゅう乗り物に忘れる」と言う話をしたら、「私は一度も財布や傘を無くしたことがない。財布をなくすなんてしたら、ショックでもう立ち直れないと思う。ふなさん強いね」と言われて、えー いやー違うんじゃないかなー顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗) と思ったものであった。そして私は絶対に傘を忘れないぞーと思っても忘れちゃうんだよーと話したら、その友達は「この間、バス降りた時、あ、傘忘れちゃった、と思ったら、自分でも気がつかないでちゃんと手に持ってたの」と言われた。その時に、これはもう、努力ではどうにもならない、と言うことではないにしろ、私が財布や傘をなくさないためにものすごい努力をしても、それでもなくすが、努力しなくても当たり前のように財布や傘をなくさない人間というがこの世の中にはいるのだという現実を思い知った。

だから私はーー自分を信用していないのでーー国際線に乗る時のパスポートとか忘れないようになくさなように、多分普通の人の10倍くらい気をつけてビクビクしながら、何とか国際線に乗ってます

posted by coach_izumi at 06:26| Slices of My Lifeー徒然ノート

2019年01月16日

年の初めに感じる、茶の湯の喜び

先日、新年の初めに、大変お世話になっている先生のお宅での初釜にお招きいただきました。炭手前、濃茶、薄茶、縁高に盛り付けられたランチ、そして初釜らしいお道具。そしてお菓子!(イノシシの主菓子が可愛すぎて、皆「食べられな〜い」と嬉しい悲鳴。笑)全てが美しくて素敵で美味しくて(笑)大変楽しませていただきました。

釜の鳴る音を聴き釜から出る湯気を見つめつつ、ご亭主がゆったりとお濃茶を練られる様子を眺めながら、ああ、お茶ってやっぱりいいなあ、とつくづくとしみじみと感じました。

そして今年2番目の初釜は、茶の湯クラスの講師をしているマンハッタンの日本クラブでした。これが日本クラブのクラスの初稽古でもあります。私は今年は薄茶のお点前を担当しました。

一緒に講師をしている姉弟子が自宅で作ったご馳走をマンハッタンまで運んで来てくれました。和やかで楽しい会となりました。

茶の湯には色々な面があります。道楽と言えば道楽ですし、一方、「茶道」という言葉の「道」という文字に表れているようにザ・修行な部分もあって(長時間の正座とか?笑)、茶禅一味という言葉もあるように禅と深く結びついているし、でも、壮大な(ごっこ遊びの)オママゴトとしか思えないところもある。最近はやりのマインドフルネスの部分があれば、(ドロドロとした人間関係を含む。笑)社交の部分もあり、心が大事かと言えば、道具に魂が宿ると言う。お点前が大事だと言う人がいれば手前にばかり拘るな言う人もいる。一見精神性が高くて優雅(なだけ)かと思いきや、バックステージは鬼の部活ですか^^;?というほどの体力勝負だったりする。歴史だ伝統だと重んじるところもあれば、本来茶の湯はアバンギャルドなものであると言う人もいる。形が大事だと言いつつ、合理的で実質的だと言う。

どの面により心惹かれるかは人それぞれだと思いますが、私は実は茶の湯がこのように(私にとっては)多面性を有している、ということそのものをこよなく愛してます。

茶の湯の世界はとんでもなく広くて、深くて、一生かかっても達人にはなれないと常に思い知る。そのことは軽い絶望感とともに潤沢な喜びで満たされることでもあります。この喜びを知ると知らないとでは、私の人生、全然違う、と思えるほどです。

心がざわついた時は(そして、そうではない時も)、特にきちんとしたお点前をしなくても、その時の気持ちにふさわしい抹茶茶椀を(手持ちの中から。笑)選んで一人静かにお茶を点てます。一人で抹茶を飲む時は何かをしながらではなくて、必ず抹茶を味わって飲むとことだけをします(あ、お菓子も食べることがかなり多いですが!笑)。一時耐久性に走って自宅で点てる時は樹脂の茶筅を使っていたのですが(苦笑)、茶筅を振る時に立つ音が(そしてその感触も)、やっぱり竹じゃないと気持ちよくないなー、と思って、竹に戻しました。シャ、シャ、と茶筅が気持ち良い音をたてるのを聞くと(とは言え、綺麗な音を立てるのは簡単ではないのですが)、自分の世界が静寂に満たされていきます。

両手で抱えたお茶碗の中に揺れる美しい緑のお抹茶をぼーっと眺めていると、そこには、その時の「自分」が映るような気がします。そこに映っているのがどんな自分であれ、それをゆっくりと飲み干すと、その美味しさと温かさに喜びを感じてゆっくりとした気持ちなります。良いことがあっても、悪いことがあっても、お茶を味わう時間が、いつも変わらずそこにあります。

自分に、こういうことがあって良かった。
ほんの端っこだけしかまだ体験できていないけど、こういう世界を知っていて良かった。
心から思います。


posted by coach_izumi at 04:44| Slices of My Lifeー徒然ノート