2019年06月19日

「”私が全部やってる”なんて言わせないから(きっ)」

最近、言えば洗濯/乾燥機は回してくれるし乾燥できないものは干してくれるし、時々だけど朝も私が起きる前に起きて食洗機の中の洗い終わってる食器片付けてコーヒーとか作っちゃってることもある息子(いつもじゃないです。ちなみに息子はコーヒー飲みません)。

私が「おー、ありがとー 助かるわー」と言うや言わぬわのうちに「僕、これ全部やったんだよ?えらくない?」と、まるで私みたいなことを言う(苦笑)。で、続きが「もう”私が全部やってる”なんて言わせないから(きっ)」(←この「きっ」、割とマジです。それもティーンエイジャー風の口調で)だって。

息子が怠けモードで私がお疲れ不機嫌モードの時に(←結構よくあることなんだけど。笑)私が「どーしてママが全部やらないといけないの!?だいたいアーンタのもの/ことでしょうが??手伝いなさい、てか、もう自分でできるんだから自分で全部やれ〜!!」と時々マジ切れしてたら、それをうざいと思うようになった挙句の自己防衛ってことね。

なんでもいいです、彼の実働が増えてくれれば(ひひひ)。そして息子の成長とともに(いや、息子の成長のために、だな、うん力こぶ)もっと楽しようと日々画策するハハなのであった。

posted by coach_izumi at 14:34| Slices of My Lifeー徒然ノート

2019年05月03日

息子が弾く、ショパンの「幻想即興曲」を聴いて思うこと

NYSSMA(New York State School Music Association) という、ニューヨーク州の生徒のための楽器演奏の検定試験みたいなものがあって、昨夜息子がそれに向けて最後の追い込みレッスン中でした。息子にとって初の”レベル6”(検定試験の中で難易度が一番高いレベル)チャレンジはショパンの「幻想即興曲」の演奏です。彼のピアノ人生(?笑)の中では一番大きい(長くて難しい)ピースとなります。本番が近づいてきたからか息子も緊張感が高まってきたようなんだけど、そんな息子が昨夜練習した後、グターっと床に寝そべって言うには「この曲のために半年以上も頑張ってきたんだよー」とのこと。ただの趣味(?)にそんな風に時間とエネルギーを使える己の境遇の幸運さを息子が分かるようになるのは、もう少し後になってからでしょうか。

不思議なんですが、最近(曲が形になってきてから)息子がこの曲を通して弾いているのを聞いていると、いつも鼻の奥がツンとしてちょっと目が潤みます。別に息子のピアノに対してじゃなくて(笑)、ああ、こんなことができるようになったのに、こんな曲が弾けるようになったのに、お父さんもお母さんもそれを見ることも聞くこともできないんだなー、って思って。こんな風に成長した彼の姿を、父も母も見ることなく逝ってしまったんだと感じてしまっていつもちょっと悲しいのです。息子が上手になればなるほど悲しい。息子の奏でる曲が美しく響けば響くほど、切なく思えます。

最近は普段はもう父のことも母のことも滅多に思い出さないのに、です。
これって、音楽の力、なんでしょうかね。

posted by coach_izumi at 21:41| Slices of My Lifeー徒然ノート

2019年04月03日

自分も父のようになるかも、と思う(苦笑)

自宅で逝きたいと願う人が多い。でも「自宅で亡くなる人は8人に1人」だそうです。と、ドキュメンタリーで言ってるのを耳にして、私がつい「(1/8に入ったとは)おじいちゃん(=私の父)すごいじゃん」と言ったら、吹き出す息子と苦笑いする夫。「いやー、貫いたよねー、おじいちゃん」と夫が言えば「(おじいちゃんが死んでるって)電話来た時、びっくりしたよねー」と息子(私は息子がその時のことを覚えていたことにびっくりしたけど)。

「ほんと、メーワクだった」とつい言う私(今もそう思ってますが)。あ、北海道の自宅で一人で亡くなったことじゃなくて、自宅にずっといたことでもなくて、病気が分かって入院した次の日に病院から脱走をはかりショッキング(という連絡を受けまさにチェックインしようとしていたその時、私は千歳空港から苫小牧に飛んで引き返したのであった・・・その後、父は2度と、通院にすらも病院に戻ることはなかった)、その後一切の、一切の、キュアだけじゃなくてケアだけじゃなく、バイタルチェックすらも、頑として受け付けなかったことです。ちなみにヘルパーさんすらも、なかなか受けつけなかった。訪問看護師さんだって追い返しちゃうし、もうほんとにすみませんでした、って感じ。もちろん、当時私が住んでいた熊本来るなんてことも「絶対、行かない」でした(まー 暑いしねー)。

父の好きなようにして好きなように死んでくれていいと、心から思っていたが、九州に住んでいた唯一の近親者(そして最大の責任者)としては最低限のペーパーワークやここにちょっと書けないような懸念を含むいろんなことがあって、一切拒否られて本当に困ったんです。人生あんなに困ったことはなかった顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)

貫いたねー・・・て、まあ、そうとも言うかもしれんがねー、もう、まじ困ったんですけど、本当に自分勝手な父親だったよ、と思いながら、実は最近思ってることがあって。

それは、私も父親みたいになるかもなー・・・・ってこと困り

あれからもうすぐ9年。父の気持ちがなんだか前よりもよくわかる。いや、母を亡くした後の父の孤独や悲しみや、病気を知ってから父が感じた恐怖が前よりも分かる、ということではない。「絶対、嫌だ」って思ったんだろうなー ってこと。それが前よりも分かる。病院にもう一日たりとも一秒たりともいたくないと思ったんだろうなということ。知らない人に(知ってる人にも、肉親にも)あれこれ言われたり指図されたり管理されたりそのために時間を取られたり(たとえそれが病気の治療のためであっても)、そういうの、たとえ一瞬でも、一回だけでも、一切、嫌だったんだろうなー、ってこと。

父があそこまで頑なになったのは、「貫いた」だけじゃなくて、心身が普通の状態じゃなかったからかもしれない、とは思う。私を含む周りのサポートがうまく機能しなかったからなのかもしれないとも思う。思うが、でも、絶対嫌だったから、絶対、嫌だった、結局はそういうことだったんだ、それに尽きるのだと、思う。そして、それが前よりも分かる気がする。

考えてみれば、私と父は良くも悪くも性質が似ているのであった。(顔だってパーツは結構似てる。)嫌なもんは嫌なのである。誰にメーワクをかけようが実の子供がどんなに困ろうが、人様に笑われようが世間から謗られようが、嫌なもんは嫌なのである。実の(それもたった一人の近親者であった)子供に気持ちが分かってもらえなくても(それはひょっとして悲しかったかもしれないが、そんな悲しみよりも)そんなことよりも、もっと大事なことがあったのだ、多分、父には。

どんな形であれ、誰にであれ、管理されること。半径わずか数メートルの自宅の中でしかもう存在しなかったけれど、そこにはあった自由が奪われること。依存症だろうが何だろうが、好きな時に好きなだけお酒が飲めたなくなることも含めて。それが、父は、絶対に、嫌だったのである。残された時間が幾ばくもないなら、なおさらである。最期の最期にたった一人の近親者であった一人娘に看取られることもなく、居間の床の上で、綺麗とは言えない様子で、一人ぼっちで死ぬことになったとしても。

いやー 分かる。分かるよ、お父さん。
多分、お父さんのその気持ち、私が一番分かる。
だってお父さんみたいな人間は(あんまりよろしくない意味で。笑)、私の周りには私くらいしかいないもの。
やっぱり、似てるのかなー 私たち。
と思う自分がいる。

そして私もいつか、年老いた時に、なんらかの形で管理されたり自分の自由が奪われることを(もう管理されないと生きていけない状態であったりとか、自由でいるための責任を背負うこともできなくなってるなんて一切構わずに)「絶対に嫌だ」と言い張るがする。そして息子が困ったり心配したりするんじゃないかなと思う。すごくメーワクをかけるかもしれないと思う。

そしてそうなった時の自分は、コーチングなんてちゃんちゃら可笑しいぜ、おととい来やがれ、と思う気がする。笑


posted by coach_izumi at 04:56| Slices of My Lifeー徒然ノート