「ほんと、メーワクだった」とつい言う私(今もそう思ってますが)。あ、北海道の自宅で一人で亡くなったことじゃなくて、自宅にずっといたことでもなくて、病気が分かって入院した次の日に病院から脱走をはかり

父の好きなようにして好きなように死んでくれていいと、心から思っていたが、九州に住んでいた唯一の近親者(そして最大の責任者)としては最低限のペーパーワークやここにちょっと書けないような懸念を含むいろんなことがあって、一切拒否られて本当に困ったんです。人生あんなに困ったことはなかった


貫いたねー・・・て、まあ、そうとも言うかもしれんがねー、もう、まじ困ったんですけど、本当に自分勝手な父親だったよ、と思いながら、実は最近思ってることがあって。
それは、私も父親みたいになるかもなー・・・・ってこと

あれからもうすぐ9年。父の気持ちがなんだか前よりもよくわかる。いや、母を亡くした後の父の孤独や悲しみや、病気を知ってから父が感じた恐怖が前よりも分かる、ということではない。「絶対、嫌だ」って思ったんだろうなー ってこと。それが前よりも分かる。病院にもう一日たりとも一秒たりともいたくないと思ったんだろうなということ。知らない人に(知ってる人にも、肉親にも)あれこれ言われたり指図されたり管理されたりそのために時間を取られたり(たとえそれが病気の治療のためであっても)、そういうの、たとえ一瞬でも、一回だけでも、一切、嫌だったんだろうなー、ってこと。
父があそこまで頑なになったのは、「貫いた」だけじゃなくて、心身が普通の状態じゃなかったからかもしれない、とは思う。私を含む周りのサポートがうまく機能しなかったからなのかもしれないとも思う。思うが、でも、絶対嫌だったから、絶対、嫌だった、結局はそういうことだったんだ、それに尽きるのだと、思う。そして、それが前よりも分かる気がする。
考えてみれば、私と父は良くも悪くも性質が似ているのであった。(顔だってパーツは結構似てる。)嫌なもんは嫌なのである。誰にメーワクをかけようが実の子供がどんなに困ろうが、人様に笑われようが世間から謗られようが、嫌なもんは嫌なのである。実の(それもたった一人の近親者であった)子供に気持ちが分かってもらえなくても(それはひょっとして悲しかったかもしれないが、そんな悲しみよりも)そんなことよりも、もっと大事なことがあったのだ、多分、父には。
どんな形であれ、誰にであれ、管理されること。半径わずか数メートルの自宅の中でしかもう存在しなかったけれど、そこにはあった自由が奪われること。依存症だろうが何だろうが、好きな時に好きなだけお酒が飲めたなくなることも含めて。それが、父は、絶対に、嫌だったのである。残された時間が幾ばくもないなら、なおさらである。最期の最期にたった一人の近親者であった一人娘に看取られることもなく、居間の床の上で、綺麗とは言えない様子で、一人ぼっちで死ぬことになったとしても。
いやー 分かる。分かるよ、お父さん。
多分、お父さんのその気持ち、私が一番分かる。
だってお父さんみたいな人間は(あんまりよろしくない意味で。笑)、私の周りには私くらいしかいないもの。
やっぱり、似てるのかなー 私たち。
と思う自分がいる。
そして私もいつか、年老いた時に、なんらかの形で管理されたり自分の自由が奪われることを(もう管理されないと生きていけない状態であったりとか、自由でいるための責任を背負うこともできなくなってるなんて一切構わずに)「絶対に嫌だ」と言い張るがする。そして息子が困ったり心配したりするんじゃないかなと思う。すごくメーワクをかけるかもしれないと思う。
そしてそうなった時の自分は、コーチングなんてちゃんちゃら可笑しいぜ、おととい来やがれ、と思う気がする。笑