半世紀生きた後でも「初体験」ってできるものなのよねシリーズ(?)の第2弾、って言うか、実はこっちが第一弾だったんだけど。あれはゴージャスなお天気だった春の日。相手の都合で予定が急に空いて、ふと、そしてむくむくと、私は思ったのである。「そうだ、マンハッタンまで車で行ってみよう!!」 「今から行けば息子が学校から帰宅するまでには戻れるハズ!」と。
。。。。多くの人にとって「だから?」ってことだと思うけど、”この”私にとって、一人で車を運転してマンハッタンに行ってマンハッタンのど真ん中を走る、って〜のは、もう、チャレンジ中のチャレンジ、今年の重大/十大ニュースに入ること間違いなしの出来事だったのである。何でそうなのか端折るが、とにかくそうなのである。で、実際運転してってみたら、実務的には大したことなかったというか、台湾に住んでた時にスクーター運転してた時のことを思い出して面白かったんだけど(まあ、あれも最初は相当な大冒険だったなあ。やっぱり自分的に、なんだけど)、でも、やっぱり、精神的には、今年の重大/十大ニュースレベルの出来事だったことに間違いはないのである。
それで、その「初体験」の日に思い出したのが、10歳くらいの時、やっぱりすごくお天気が良かった日に、ふと、そしてむくむくと、思い立って、一人で自転車乗って隣町まで行ってみた時のことであった。いつもは父親の車やバスでしか行ったことがなかった5キロくらい先の隣町まで自転車で行くというのは当時の私にとっては大冒険であった。でも、ふとそしてむくむくと思い立って、やるしかないっっ!!!って思って(ちなみに用事も理由もなかった)、誰にも言わずにママチャリ以下の自転車をいきなりキコキコとこいでったのであった。結構怖かったけど(実はそ〜と〜な怖がりなのである)、なんか、すごいことしてる気分!!と思って、ワクワクして、でも緊張してて手に汗かいてて、でも頑張ってキコキコこいでって、その町に行くといつも行く文房具屋さんにタッチアンドゴーしてそんでまたキコキコとこいで帰ってきて、ただそれだけ。でも、もう、すんごい大仕事を成し遂げ気分になった。
ところで、北海道の田舎の「隣町」は日本の他の地域とは違う。歩道も何もない車のための幹線道路/国道でもって、私が住んでいた町とその隣町とは繋がっていた。つまり町/居住区が連続していない。北海道の田舎で暮らしたことがない人はイメージしにくいかもしれないが、アメリカの道と似ていて、そこは日常的に人が歩いたり自転車が走ったりする道路ではなかった。
ちなみに今回の「マンハッタンに車で行ってみよう大冒険」も、誰にも言わずに、思い立ったが吉日、今しかない〜〜〜っっっ!!と思ってハズミとノリで実行した。てか、そのハズミとノリが(なぜか)湧いてきた今やらないと、今この瞬間を逃すと、もう一生できない!!と思ったのだ(大げさに聞こえると思うけど、ホントにそう思った。そのくらいa big deal=大したこと、だったのである、私にとっては)。今回は50歳の大人なんでさすがにちょっとした理由も用事もあったけど、でも、それは二の次だった。あの時と今回を比較すれば、客観的には、今回の方が「全く何てことないこと」なんだろうけど、無事に帰宅した時、あの時と同じように、すんごい大仕事を成し遂げた気分になった。
夫に話したら「えええ、ほんと??すごいじゃ〜ん!!」(あくまで私的/我が家的に、なのですが)と想像以上に驚いてくれて、「えっへん」と思って誇らしかった。なぜそれが私にとってチャレンジかちょっと分かってるある女友達に話したら「やったね〜 おめでと〜」と言ってくれて(笑)嬉しかった。拍手までしてくれた(笑)。
そういえば、その10歳の時、夜になってから母に誇らしげに「自転車で隣町に一人で行った大冒険」のことを言ったら「えええっっっ。。。。」と言ったきり、絶句してたっけ(確か母が買い物か何かで出かけていた時に決行したのであった)。後年、その時のことを(も)言ってるのかな?と思えるような文脈で、「あんたはホントにいきなりとんでもないことやっちゃうから。。。。」みたいなこと言われたなあ、ってそれも思い出した。当時は分からなかったが、母は多分あの時、ほんとは(心配ゆえに)私を怒りたかったんだと思う。自分が母親になってみて分かる。でも、私の母は私を怒らなかった。偉いと思う。この母親(=私自身)はそんな度量がないので余計にそう思う。そして今思い返せば、そういうことが他にもあった。
ーーなんて、母のことも思い出したけど、それとはまた別に、ひょっとして、あの10歳の時の自分は、まだ自分の中にいるのかなあ、とちょっとだけ思えた。そのことが、ちょっと嬉しかった。
と、思ったことを、書いておきたくなったのであった。
2017年06月06日
50歳と10歳の小さな大冒険
posted by coach_izumi at 13:23| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと
2017年01月25日
50才の誕生日を迎えて
先日、50才の誕生日を迎えました。
その時にふとわきあがってきた思いを綴って、SNSの個人ページに投稿しました。
今の自分の、全てではないけれど大きな大事な一部分、が表れていると思うので、以下、紹介します。
ーーーーーーーーーー
私が産まれた日は日曜日だった。50年後の誕生日もまた日曜日だ。
私が産まれた病院で母は死んだ。あの日も日曜日だった。
人が死ぬときに、最後まで残るのは聴覚なのだと、何かで読んだ。死んだ後すらも、耳は聞こえるのだと。だから私は、母の臨終の時、母の手を握りながら、母 の耳元でずっと母に呼びかけた。ほとんど叫び続けた。聴覚は残るけれども、聞こえにくくなっているから、大きな声で話しかけろと、やっぱり何かの本に書い てあったから。
楽しかったね。私たち、ずっと楽しかったね。
幸せだったね、私たち、とっても幸せだったね。
私、ずっとずっと幸せだった。
全部、全部、お母さんのおかげ。ありがとう。ありがとう。
私、ずっとずっと、いつもいつも、幸せだったよ。
全部お母さんのおかげだよ。ありがとう、ありがとう。
正確には覚えてないけど、こんなことを、繰り返し繰り返し、叫び続けた。
背中に触れる手を感じて、振り向くと、父が私を見下ろしていた。
父の目は涙でいっぱいだった。
あ、お父さんも、お母さんに何か言いたいのかな。
私が占領しちゃって、悪かったかな。
ふとそんな考えが頭をよぎった。
父は言った。震える声で。
先生が、待ってるから。
母の息はとうに絶えていて、私は死んでしまった母に、いつまでもいつまでも、叫び続けていた。そうとも気が付かずに。そんな私に引導を渡せるのは、父だけだった。
もう、だめなの?と泣きながら、父に言ったことを覚えている。
そして「先生」の方を見上げると、目に涙が溜まっているように見えた。少しだけ温かい気持ちになったような記憶がある。
私が父にうながされて母のそばを離れると、「先生」は母の体を調べて、時刻を言って、心拍が停止しました、というようなことを言った。
あの日曜日から10年近く断って、私は、50才になる日曜日を迎えようとしている。
母が死んだあの病院で私は産まれたのだ。
母が命をかけて、50年前にあの病院で私を産んでくれたのだ。
その40年後に自分がまさかそこで死ぬなんてこと、想像もしていなかったんだろうな。おまけに同じ日曜日だなんて。
そんなことを思いながら、なんとなく自分が生きてきた半世紀(!)を振り返るような気持ちになるのは(最初の数年は全く記憶がないにしろ)ありきたりなよくあることだとは思うのだけれど。
わき上がってくる思いは、死んでいく母に一生懸命伝えようとした言葉そのままだ。その時は、ただ母にそう伝えたいことの方が大事で、自分が本当にどう思っているのかは、二の次だったけれど。
私は、ずっと幸せだった。
ずっとずっと、いつもいつも、幸せだった。
父母に恵まれ、祖父母に恵まれ、親戚に恵まれ、健康に恵まれ、教育に恵まれ、機会に恵まれ、仕事に恵まれ、結婚(夫)に恵まれ、義理の家族にも恵まれ、子供にも恵まれてきた。
そして同僚に、友に、恵まれてきた。
人に恵まれてきた。
(ついでですが、若かりし頃お付き合いさせていただいた殿方も、誰も彼も、いい人ばかりでした←チョウ蛇足?笑)。
あの日「全部全部、お母さんのおかげだよ。ありがとう」と言った、その言葉を、友と呼ばせてもらえる人達に、伝えたい。
そして人知れず(笑)私の投稿をいつも読んでくれている、家族や親戚にも伝えたい。
私はずっとずっと幸せだったし、今もすごく幸せです。
この根拠のない(?)多幸感、ショージキ、ヤバい(←本来の悪い
方の意味f^^;)んじゃないの?? と思ってしまうくらい、幸せ感じてます(笑)。
みなさん、一人一人のおかげです。
ありがとうございます。
残り(?笑)の人生も、どうぞよろしくお願いします。
その時にふとわきあがってきた思いを綴って、SNSの個人ページに投稿しました。
今の自分の、全てではないけれど大きな大事な一部分、が表れていると思うので、以下、紹介します。
ーーーーーーーーーー
私が産まれた日は日曜日だった。50年後の誕生日もまた日曜日だ。
私が産まれた病院で母は死んだ。あの日も日曜日だった。
人が死ぬときに、最後まで残るのは聴覚なのだと、何かで読んだ。死んだ後すらも、耳は聞こえるのだと。だから私は、母の臨終の時、母の手を握りながら、母 の耳元でずっと母に呼びかけた。ほとんど叫び続けた。聴覚は残るけれども、聞こえにくくなっているから、大きな声で話しかけろと、やっぱり何かの本に書い てあったから。
楽しかったね。私たち、ずっと楽しかったね。
幸せだったね、私たち、とっても幸せだったね。
私、ずっとずっと幸せだった。
全部、全部、お母さんのおかげ。ありがとう。ありがとう。
私、ずっとずっと、いつもいつも、幸せだったよ。
全部お母さんのおかげだよ。ありがとう、ありがとう。
正確には覚えてないけど、こんなことを、繰り返し繰り返し、叫び続けた。
背中に触れる手を感じて、振り向くと、父が私を見下ろしていた。
父の目は涙でいっぱいだった。
あ、お父さんも、お母さんに何か言いたいのかな。
私が占領しちゃって、悪かったかな。
ふとそんな考えが頭をよぎった。
父は言った。震える声で。
先生が、待ってるから。
母の息はとうに絶えていて、私は死んでしまった母に、いつまでもいつまでも、叫び続けていた。そうとも気が付かずに。そんな私に引導を渡せるのは、父だけだった。
もう、だめなの?と泣きながら、父に言ったことを覚えている。
そして「先生」の方を見上げると、目に涙が溜まっているように見えた。少しだけ温かい気持ちになったような記憶がある。
私が父にうながされて母のそばを離れると、「先生」は母の体を調べて、時刻を言って、心拍が停止しました、というようなことを言った。
あの日曜日から10年近く断って、私は、50才になる日曜日を迎えようとしている。
母が死んだあの病院で私は産まれたのだ。
母が命をかけて、50年前にあの病院で私を産んでくれたのだ。
その40年後に自分がまさかそこで死ぬなんてこと、想像もしていなかったんだろうな。おまけに同じ日曜日だなんて。
そんなことを思いながら、なんとなく自分が生きてきた半世紀(!)を振り返るような気持ちになるのは(最初の数年は全く記憶がないにしろ)ありきたりなよくあることだとは思うのだけれど。
わき上がってくる思いは、死んでいく母に一生懸命伝えようとした言葉そのままだ。その時は、ただ母にそう伝えたいことの方が大事で、自分が本当にどう思っているのかは、二の次だったけれど。
私は、ずっと幸せだった。
ずっとずっと、いつもいつも、幸せだった。
父母に恵まれ、祖父母に恵まれ、親戚に恵まれ、健康に恵まれ、教育に恵まれ、機会に恵まれ、仕事に恵まれ、結婚(夫)に恵まれ、義理の家族にも恵まれ、子供にも恵まれてきた。
そして同僚に、友に、恵まれてきた。
人に恵まれてきた。
(ついでですが、若かりし頃お付き合いさせていただいた殿方も、誰も彼も、いい人ばかりでした←チョウ蛇足?笑)。
あの日「全部全部、お母さんのおかげだよ。ありがとう」と言った、その言葉を、友と呼ばせてもらえる人達に、伝えたい。
そして人知れず(笑)私の投稿をいつも読んでくれている、家族や親戚にも伝えたい。
私はずっとずっと幸せだったし、今もすごく幸せです。
この根拠のない(?)多幸感、ショージキ、ヤバい(←本来の悪い
方の意味f^^;)んじゃないの?? と思ってしまうくらい、幸せ感じてます(笑)。
みなさん、一人一人のおかげです。
ありがとうございます。
残り(?笑)の人生も、どうぞよろしくお願いします。
posted by coach_izumi at 11:43| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと
2016年12月29日
「何かが(何にも)起こらなかったこと」の価値は、不当な評価を受けているのかもしれない
先日昔からの友人と久しぶりに話をしました。
本当にとても久しぶりなので、あれこれとお互いの生活や人生について、話が尽きず・・・その流れで彼女が私に話してくれたことでとても印象に残ったことがありました。
一見、品質管理の話なんですけど(笑)。
彼女はあるメーカーの製造現場で、品質管理や品質保証の仕事をしていたことがあるんですが、そのときのことを回想して、こんなことを話してくれたんです。
商品を製造する過程で何か大きなトラブルがあった時、それを解決した人というのは評価される。でも、そもそもトラブルが起きないようにと予防策をあれこれと考えて対策をたててそれを実行して、結果としてトラブルが起きなかった場合というのがある。「何も起きなかった」わけなので、はたしてその予防策ゆえに「トラブルを回避できた」のかあるいはただ単に「何も起きなかった」だけなのか、(その予防策に携わっていなかった人達は特に)判断できないし、そもそも「何も起きなかった」がゆえに、そのことは注目すらされない。だから、「最初からトラブルが起きないように」とあれこれ考えて働いた人の貢献というのは見えにくく、評価もされにくい。
人生においても、ちょっと同じかも、なんじゃない?
と、いうのが彼女のポイントで、私も、そうだなあ、って思ったんです。
人生と定義されるような大きな流れの中でも日々の生活においても、
失敗したり何かを失ったりしてリカバリーしたときとか、
何かを乗り越えたときとか、
何かを得たときとか、
それは「目に見える」。分りやすい。
だから、誰かに対して感謝したり、自分に対しても「よくやった」と自分を褒めたりすることができる。
でも、何か(悪いこと)が起こらなかったときとか、
何かを失わなかったとき(だから何かがそのまま常のままであるとき)、
一見「何も起こってない(笑)」ので、見えない。分らない。
だからそのことについて私たちは評価もしない。
どころか、気がつきもしない。
それは、ただたまたま起こらなかっただけかもしれないけど、でも、前もって何らかの心がけとか行動とかそういうものがあったから、起こらなかったのかもしれない。それは、分らない。
でも、ひょっとして、その「何も起こらなかった」ということは、実は一番素晴らしいことかもしれなくて、そしてその “「何も起こらない」ことが起こる" ためには、実は誰かやあるいは他でもない自分が−意識的にか無意識的にか、必死にかなんとなくかは別として−色んな事を考えたり、やってみたり、していたからかもしれない。
でも、そういう「貢献」は見えにくい。
誰かの貢献も。自分の貢献も、
人生において何かを選択した時、決断した時、それによって
失ったものや、得たものや、「起こったこと」は、よく見える。よく分る。
でも、その選択によって
失わなかったもの、あるいは得なかったもの、つまり「起こらなかったこと」はなかなか見えない。なかなか分らない。
その「価値」は正当に評価されにくい。
その「選択」あるいは「決断」によって、失わなかった何かがあって、起こらなかった何かがある。
確かにある(はず)。
でも、そのことの価値は、不当に評価されている、ちょっとそんな気がしました。
あ、私自身の人生においてです(笑)。
そして、ちょっとハッとしたのです。
同じようにハッとする人って、ひょっとして、他にもいるんじゃないかなあ・・・なんて、思ったりしながら、おせち料理の段取り考えたりしております^^
本当にとても久しぶりなので、あれこれとお互いの生活や人生について、話が尽きず・・・その流れで彼女が私に話してくれたことでとても印象に残ったことがありました。
一見、品質管理の話なんですけど(笑)。
彼女はあるメーカーの製造現場で、品質管理や品質保証の仕事をしていたことがあるんですが、そのときのことを回想して、こんなことを話してくれたんです。
商品を製造する過程で何か大きなトラブルがあった時、それを解決した人というのは評価される。でも、そもそもトラブルが起きないようにと予防策をあれこれと考えて対策をたててそれを実行して、結果としてトラブルが起きなかった場合というのがある。「何も起きなかった」わけなので、はたしてその予防策ゆえに「トラブルを回避できた」のかあるいはただ単に「何も起きなかった」だけなのか、(その予防策に携わっていなかった人達は特に)判断できないし、そもそも「何も起きなかった」がゆえに、そのことは注目すらされない。だから、「最初からトラブルが起きないように」とあれこれ考えて働いた人の貢献というのは見えにくく、評価もされにくい。
人生においても、ちょっと同じかも、なんじゃない?
と、いうのが彼女のポイントで、私も、そうだなあ、って思ったんです。
人生と定義されるような大きな流れの中でも日々の生活においても、
失敗したり何かを失ったりしてリカバリーしたときとか、
何かを乗り越えたときとか、
何かを得たときとか、
それは「目に見える」。分りやすい。
だから、誰かに対して感謝したり、自分に対しても「よくやった」と自分を褒めたりすることができる。
でも、何か(悪いこと)が起こらなかったときとか、
何かを失わなかったとき(だから何かがそのまま常のままであるとき)、
一見「何も起こってない(笑)」ので、見えない。分らない。
だからそのことについて私たちは評価もしない。
どころか、気がつきもしない。
それは、ただたまたま起こらなかっただけかもしれないけど、でも、前もって何らかの心がけとか行動とかそういうものがあったから、起こらなかったのかもしれない。それは、分らない。
でも、ひょっとして、その「何も起こらなかった」ということは、実は一番素晴らしいことかもしれなくて、そしてその “「何も起こらない」ことが起こる" ためには、実は誰かやあるいは他でもない自分が−意識的にか無意識的にか、必死にかなんとなくかは別として−色んな事を考えたり、やってみたり、していたからかもしれない。
でも、そういう「貢献」は見えにくい。
誰かの貢献も。自分の貢献も、
人生において何かを選択した時、決断した時、それによって
失ったものや、得たものや、「起こったこと」は、よく見える。よく分る。
でも、その選択によって
失わなかったもの、あるいは得なかったもの、つまり「起こらなかったこと」はなかなか見えない。なかなか分らない。
その「価値」は正当に評価されにくい。
その「選択」あるいは「決断」によって、失わなかった何かがあって、起こらなかった何かがある。
確かにある(はず)。
でも、そのことの価値は、不当に評価されている、ちょっとそんな気がしました。
あ、私自身の人生においてです(笑)。
そして、ちょっとハッとしたのです。
同じようにハッとする人って、ひょっとして、他にもいるんじゃないかなあ・・・なんて、思ったりしながら、おせち料理の段取り考えたりしております^^
posted by coach_izumi at 12:38| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと