2015年10月05日

つべこべ言わずに

NYに住むようになってから、幸いなことに、敬愛すべき素敵な50代の女性と何人かお友達になった。ちょっと前に(夏ごろに)彼女らが一様に「もう、そんなに時間がないもの。やりたいことは、どんどんやらないと」というようなことを言うのを聞いた。うち一人は「あなたはまだ分からないかもしれないけどね」とも添えてくれた。その時は、良い考え方だな、と思いつつもふ〜ん、そういうもんか、という感じだったけど、しばらくしてここ最近(秋になってから)、なんだかだんだん彼女らの言葉が沁みてきた。

私も、諸先輩方と比べればまだまだ若輩者とは言え、それでももうすぐ50才になるし、人生明らかに半分以上きてるし、体力やら何やらもこれから良くなるということはないわけだし(あ、空手は上達してる、って先生からら励まされたけど!いひひ^^)、なんか、「”つべこべ”思ったり言ったりしてる時間なんて、もう、ないじゃん」とつくづく感じるようになった。そうしたら、前よりもずっと気が楽になったような気もした。

英語で言うところのups もdownsもgood daysもbad daysもあるけど、もう、「つべこべ」言うのはやめよう。自分に対しても、人に対しても。ほんとまじで、そんな時間はない。愚痴を言う時間が、もったいない。うまくいかないことがあっても、うじうじしてる時間なんて、もう残ってない。つべこべ言わずに、今、目の前にある、やるべきことをやろう。つべこべ言わずに、不確かなことにも、ただトライしよう。だめなら、だめで、次だ、次。
posted by coach_izumi at 11:49| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと

2015年09月04日

「違い」が共存できない理由じゃない

私は2002年にアメリカのテキサス大学オースチン校というところで博士号を取得しました。博士号取得時に完成した博士論文のタイトルは

Intercultural Experiences and Practices in a Chinese-Japanese
Joint Venture: A Study of Narratives and Interactions about and
beyond “Chinese” and “Japanese.”

ひょんなことからこの論文のPDFに遭遇しました(簡単にサーチはできるのですが、気分的には『遭遇』した漢字でした)。下記は論文本体のい〜っちばん最後の締めの部分で265ページ目です。なんか・・・我ながら、アツいf^^;

今読むと青臭い気もするのですが、本気でこう思って書きました。
そして自分で書いたことに今も共感します(いや、っていうか、自分で書いたことだから当然なんですが。笑)。

英語のままですが、以下、紹介。

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Differences often serve as reasons, in both experiential and practical
terms, why we cannot live with particular groups of individuals. Especially when we refer to “cultural” differences, regardless of what we exactly mean by “culture,” such reasoning seems to have power over us. By having demonstrated how capable and flexible individuals actually can be in dealing with the cultural factors of their intercultural experiences and practices, I hope my dissertation has put forth a caveat against such an excuse. The final point I would like to make is that it is not because we are different that we cannot better live together with particular groups of individuals; it is because we do not deal with the differences in better ways−despite the fact that we are indeed capable of doing so when prompted by our own needs. Given this, now is the time for intercultural communication researchers to move beyond identifying cultural differences as the reasons for problems in intercultural communication. An important task for intercultural communication researchers in the future is to explore various and meaningful ways in which we as theorists and practitioners of intercultural communication can appropriate cultural differences into our lives and better live with individuals who may be “different” from us in some ways, but are the same in many other and more important ways.
posted by coach_izumi at 13:07| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと

2015年08月21日

目の前のことに集中するというよりは、他のことを忘れることを自分に許可してみる

今年の夏休みの間はタウン・キャンプやサッカーキャンプで外で過ごす時間が長い息子。多少の暑さや日差しは水分さえ取っていれば問題ないことがほとんどなのですが、珍しく夜になっても皮膚が熱いままのことが。確かに今日はともて暑くて確かに日差しも相当キツかったしなあ・・・と一日のお天気を振り返りながら少し心配になりました。

本人は問題なさそうなんだけど、とにかく今夜は早めに寝かせようと「決意」した母=私。でも「夏休みモードの」息子は、「早く寝なさい」と言っても聞きそうにない(だって本人は特に不調を感じてないし)。それで、ちょうどその夜は夫が出張で不在ということもあり、「今日はママも一緒に寝るから、ママのベッドで早く寝よう」と言って、私が早々に寝る支度を始め たところ、最近すでに反抗期か?と見まがうほどに小憎らしい言動ばかりの息子が(特に、寝ろとか食べろとか歯を磨けとか、そいういうことにいちいち、まず「いや」というのが最近のお約束f^^;;)、やたら素直にこの提案を受け入れ、すいすいと寝る支度にかかるのでした。あら、着替えも歯磨きも素早いこと〜。

気のせいか嬉しそうな息子の様子を見るに、一緒に寝ようと言ってもらうのが嬉しいのかな、と思ったのもあったけど、何よりも、私が100%彼にフォーカスしていることが、嬉しいのかな、と思ったのでした。

最近は「親が起きてても、お前は小学生だから寝ろ〜」と指導(?)することが多くて、おそらくは、親は別のこと に気を奪われて何かしているのに「だけど、お前は一人でちゃんと寝ろ」と言われることにまだ慣れていないというか、いつもじゃないだろうけど、ちょっとさ みしい・・・と思うような甘えたいような気持ちもどこかに残っているような様子の息子。(あ、ちゃんと「おやすみ」の挨拶はしてますよ〜f^^;) プラス、とにかく最近小生意気だから、この親の当然の(?)指導に対してあれやこれやと言い訳を作って親が言う時間には寝ない→親怒る→息子、膨れて自分の部屋に行く(そして案外あっさり寝入る。笑)、というのが最近よくあるパターンでした。

でもその日はきっと、私が彼の体調をちょっと心配していたのも伝わったのだろうし、そのために、私が自分のことは置いておいて彼のことにフォーカスしている こと、彼がたくさんの睡眠をとることにのみ心を向けているというのが分かったのだろうと思います。つまり「自分のことだけを考えて、見てくれて、一緒にいてくれる」 という風に感じたのでしょう。息子は最近には珍しいほど、穏やかに、嬉しそうに、そして素早く寝る支度を澄ませて(私と一緒に)ベッドに入ったのでした。

たまにそして久しぶりに早い時間から息子と一緒にベッドに寝てみて、案の定あっという間に寝に落ちていく 息子の頭を撫でながら、私もなんだかとっても安らかなで穏やかで満ち足りた気持ちになってしまいました。

こういう時間も、そのうち持てなくなるんだよなあ、と思うにつけ、私にしては(非常に)珍しく、ああ、今のうちに、こういう風に自分のことは置いておいて 息子のことだけを見る時間を、もっともっと過ごしておきたいなあ・・・などとまで思ってしまいました。(翌朝また小憎らしい言動を展開する息子とはまたいつもと同じ小競り合いをしていた母ですが・・・笑)。

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さて、少し話の方向が変わるのですが、その時の自分の感覚を振り返ると、そうすると息子が喜ぶからとか息子とべたべたして一緒にゆっくりとした時間を過ごせたから、ということだけではなくて、体調を心配するということをきっかけとして、今、ここの、目の前にいる息子だけに心をかけるということを自分に許可した・・・ということが、自分に穏やかさや満ち足りた気持ちをもたらしたのかな、と思います。私にとって息子の健康というのは、やはり一番大事なことのひとつだから、そのためなら、他は後回しにして放っておいていいよ、って、自分に対して思えたのですよね。

だからそれは息子とともにいるということに限らず、本を読むとか料理をするとか掃除をするとか、あるいは締め切りのせまった仕事とか、そういう日々のことであっても、そのことをしている間は他の事は「置いておいて」今ここの目の前にある事柄にだけ心をかけることの大切さ、ということにもつながるような気がします。

誰の人生でも、いろんなことが同時進行で動いていて、その中には心配ごととか時間がせまったこととか、いろんなことがあるから、今、ここの、目の前にあることや人だけに心をかける、ということは結構難しい。

でも、「今、ここの、目の前にあることや人」だけに集中しないと!!と“がんばる”よりは、他のことは置いておいていいから、ほっておいていいから、今ここの目の前にあることや人だけを見ていいんだよ、と、自分の許可をあげる・・・そんな感覚でいられれば、あわただしい日々の中で、今ここの目の前にあることや人にフォーカスしつつ、(その間他のことはできないんだけど)なんだか穏やかで満ち足りている・・・そんな状態で常にいられるようになるのかな?なんて思いました。

目の前のことに「集中だ、集中〜〜!!」とがんばるのはツライ(笑)。集中、集中、と自分にはっぱをかけるじゃなくて、「今はこのこと以外の他のことを忘れてていから」と自分に許可してあげる、「今ここのこと以外はとりあえずは置いておく」ことを自分に対して許してあげる、そんなモードの方が、なんだかしっくりくる気がする夏の終わり。

こんな感じのモードで、家のことも、仕事のことも、そして子供の事も、ちょっとしばらくやってみようかな、と思うのでした。






posted by coach_izumi at 03:36| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと