2020年03月16日

トイレットペーパーがなくなる恐怖(分かる〜!)その2

先日再掲した5年前の投稿の続き。

トイレットペーパーがない〜〜!!!
その恐怖、体験したことあります。
分かるよ〜(涙)。

そして、そのほとんど人生最大の危機に、私に起こったのはパラダイムシフトだった。

そっかー お手製ウォシュレットと思えばいいのよっっっ。

・・・てか日本て、日本て、最近はどこでも本当のウォシュレット完備してるんじゃいのーー???

ーーーーー
タイトル:私が絶対にできないと思ったこと(2)

うわ〜〜〜〜〜、どお〜〜〜、しよ〜〜〜。紙が、もう、ない〜〜〜〜!!!
(↑正確を期するために加筆すると、この時、全くなくなったわけではなくて、「ほぼ」ない状態です。)

・・・・その時、ふと目にはいった「風景」。
それは、そこに住む友人カップルが用を足す時のためにためている水おけ(結構大きかった)。

その水おけから右手で手酌のようなものをつかってその部分に水を流しながら左手で洗うんだよ・・・ということを友人から聞いてはいたのです。でもまさか、自分がその行為をするとは全く思っていなかったので、「ふ〜ん」程度にしか聞いていなかった。だって「まあ、私は(絶対)使わないから〜」。だから、その水桶はもちろんずっとそこにあったんだけど、意識には入ってきていなかったのです。

ところが、ふとしたその瞬間に、熱でぼ〜っとしていた私の目に、その水桶の水は、「すごく清らかで美しい」風景として飛び込んできたのでした。まじ、水桶に張った水がきらきらして見えた。本当に、表面が輝いて見えました。

そして私はぼんやりと夢想したのです。こんなに清らかで輝いている水でお尻を洗ったらすごく気持ちがいいだろうな〜・・・と。

そしてそれは、今までには存在しなかった(というかただ単に見えてなかった)「新しい」可能性として私の前に浮上したのです。

その「可能性」は、いや、だからさ、そうしたらいいんじゃないの?!という己に対する叱咤激励へと変化していきました。だいたい、この国の人はみんなやってんのに、あんただけができないってのは、どういうことよ!?と思うに、自分が情けなくもなるし(下痢で十分情けないのに)。


てか、もう、私は、そうしたいのよ!!(願望というより絶望?)
だいたい、もう、紙がないんだし〜〜!(それしか、ないっしょ!?)

というものの、心のブロックというのは強力です。今こうしてつらつらと当時のこと思い出しながらタイプするにつけ、なぜあんなに強固に無理、って思い込んでしまっていたのか、もう、自分でもほとんど訳分からないくらいなのですが、「いや、でも、いや、あの、うわああ、できない〜〜〜」という気持ちと「でも、もう手段もないし、背に腹は代えられないし〜〜」という気持ちの間で、私はおおいに揺れました。まるで嵐の中のブランコのごとく(陳腐な表現ですが、ほんとにそんな感じだったのです)。

郷に入れば郷に従え〜~~!!
Do as Romans do in Roooome!!
と、日本語でも英語でもで心の中で叫んでいるのに、ど〜〜〜してもできない。

でも、でも、でもぉ・・・・

と、その瞬間、私は閃いたのでした。
まさに、ピッカーーーーンって感じ。
まさしく天の啓示を受けるがごとく。

ああっっっ。
これって、これって、これって、実は(?)、

「お手製ウォシュレット」

なんじゃないの??って。

あ、そっか〜。な〜んだ、そうだよ、お手製ウォシュレットじゃん。
だったら平気じゃん!!

そのころは今ほどウォシュレットは普及していなかったのですが、私はさらにたたみかけるように自分自身に心の中で言いました。

そうそう、ウォシュレットなのよ。これはそれを機械じゃなくて手でするってだけ。ちょっと進んだ人は(??笑)みんな(って誰?)ウォシュレット使ってるのよ〜。ね〜。私に使えないわけないじゃん!!(使ったことはまだないけどぉ)

それにさ、お風呂とかでお尻洗う時だって手で洗うわけだよね??
お風呂ではいつもできることが、今ここでできいないって法は、ないでしょ??

そうだ、風呂だ、風呂。風呂と同じじゃん。

↑なんて一人ダイアログを熱でぼ〜っとした頭の中で一人繰り返しながら、私はついに「決心」に至ったのでした。
「よし次のチャンスが来たら、トライしよ!!」

そして次のチャンスはあっという間に来たのでありました(だって人生最悪の下痢だから)。

このブログを書いている私の横で夫は「“清水”の舞台だね。うはは」と、どーしょもないこと言って一人ウケてましたが、私はまさに清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで、えいや、と、その清らかな水(つまり清水ね)が入っている水桶に右手でもって手桶をトプンと入れて、水を汲みました。そして当該部分目指して、決行。ちょろちょろ・・・と流れる水。あれえ、うまく「当たらない」。これは実はテクがいるのね。と意外な難しさに気がつく。よしもう一度。ちょろちょろ・・・お、当たった、当たった。やっぱりどんぴしゃとはいけなくて、ちょっと水が無駄になっているけど(上級者はわずかな水で効率よくできるのです)、初心者だから仕方がない。何事にも初めてはあるのだ。

そしてここからが、いよいよハイライト(?)。
水の「ちょろちょろ」のタイミングに合わせて左手で当該部を洗うのであります。
そろり、そろり、えいやっと。

お、できた、できた〜〜!
なぜか達成感。
そして私は思わず目を閉じて人心地ついてしまいました。だって

「うおぉ・・・気持ちいい・・・」

ひどい下痢の経験がある方はお分かりと思いますが、そう、出口が痛くなるんですよね。だから、紙を当てるのがすごく辛くなる。私もその時(なんてったて人生最悪の下痢なんで)、すごおおおおく、痛かったんです。もう、ひりひりなんてもんじゃない。できることなら一枚の紙もあてたくなかった(それなのにあれほどトイレットペーパーを切望するなんて、自己矛盾?)。

だから、水と手だけを使う方法は、実に体への負担がなくて、ほんと〜〜に、気持ちが良かったのです。それはまさにちょっと前に流行った「癒し」のごとく。自分でちょろちょろと流す水もだけど、使った自分の左手が、本当に柔らかく優しく感じました。手、ってこんなにも優しいものだったのか、と驚いたほど。最近花粉症対策などではやりのローションティッシュどころのレベルじゃありません。

あ〜〜、も〜〜お〜〜、な〜んだ〜〜ああ。
最初っからこうすりゃあ良かったんじゃないの〜。もう、絶対こっちの方がいいじゃないの〜〜。も〜、わたし、ばっかみたいだったな〜〜〜。

あれほど強固に「できない〜っっっ!!」と思い込んでいたことなど、まるでそれまでの私の人生にはなかったかのように、私は笑っちゃうほどコロリとこの「水と手」方法に心酔。まだほんのちょっとだけ残っていたトイレットペーパーに見向きもせず(とは言え、初心者ゆえびしょびしょ濡れてしまうので、それを多少でも拭くためだけに、一度につき5cmづつくらい使用しましたが)、その後も水と手で処理をし続け、夜を明かしたのでした。

翌朝。

私はようやく最盛期を過ぎた下痢の隙間をぬって布団でうとうとしておりました。そこへ私の異変に気がつき、「こと」を理解した友人が「い、いずみちゃん、だいじょうぶ??」とやってきました。そして友人が、うわっ、と気がついた感じで「ね、ね、トイレットペーパーはっっ!?足りなかったでしょっっ!?」(友人もかつて同じようなことを経験しているので、必要量が分かる。笑)と私に心配そうに聞いてくれきました。 

私がかくかくしかじか・・・と私の真夜中の冒険について話をするとその友人は「あら、できたのね?」だって。私も「うん、できたよ〜」とまるで小学生がお母さんに報告するかのように答えました。友人は「いやあん、おめでと〜。できたのね〜」だって。

その日予定していた山登りは当然中止。どころか、滞在中予定していたいろんな観光系のことはすべてキャンセル。私は山の中で友人が作ってくれたおかゆを食べて布団で過ごしましたが、その分ゆっくりとひさしぶりに友人と色んな話ができたので、それはそれで、とても良い時間を過ごしたのです。


さて、「絶対にできない」とか「ものすごおおおく抵抗感のあること」でも、やってみればなんてことない、どころか、実はうんといいことだった、てのが、一応このエピソードのポイントのひとつで、だから絶対にできないってのは実はただの思い込みでそこに色んな機会や展開が待ってるかもしれないですよん、というのが(もともとは)今回のブログの趣旨(だったはず)なのですが(なんか本来の趣旨がトンでしまった気が・・・苦笑)、この時の体験から、私はそのこと以外にも実に色々なことを学び感じそして反省しました。

たとえば「お手製ウォシュレット」ひとつにしても、結局私は、自分の文化的枠組みの中で目前の事象を解釈できる/することなしには、異文化を受容・体験できなかった、ということなんだよね〜、とか。逆に言うと、自身の枠組みの中で事象を再構築できれば、自分にとっては初めであったり抵抗感があることでも、案外容易くできるってことか、とか。

さらに、そこにそれがあるわけだから(てか、それしかないし、それがそこでは当たり前なわけだから)、つべこべあれこれ考えずにそのまま受け入れてそのまま(そこのひとたちがやっているように)やればいいじゃん、っていう、ごくごくシンプルで当たり前のはずのことが、自分はなかなかできなかったんだな〜、と振り返れば思うのです。(そしてこうして書きながら、そう言えば、こういう傾向は現在の自分にもあるなあ、と気がついたりしております。)

文化に優劣はありません、とか講義しちゃいながら、実際には自分にはなじみのない習慣に対してよく知りもしないで「きたない」って感じてたよなあ、とか(この体験を経て、手と水で用を足す方が、もちろん場合によってだけど、紙を使うよりも「実はよっぽどきれい」なんだと思うようになった。おまけにエコ。←だからと言って今の環境でわざわざそうするということではないにせよ。)

ま、ただの旅先の情けなくてオモロい話って言えばそれだけなんですが。

とにかく、なんにせよこの体験は、私にとっての小さな「ブレークスルー」になったなあ、と思っています。

・・・・てなことや、他にもこの体験から派生して言える色々なことを、これまで異文化間コミュニケーションの授業の講義で取り入れたり(これがまた、種々の概念や理論について講義する時に、とても良い例になるんです)、友人に話したりする中で、さらにまた色々と感じることがこれまでにあって、そっちのことも書きたくてこの体験についてはあくまでその「材料」として書き始めたんですよね。でもエピソードそのものだけですごく長くなってしまったので(いや、なんちゅうの、書き始めたらもうとまらないっていうか、これでもかなり省いたんです^^;)、そういう後日談(てか、ブログ的にはそっちが本番・本論のはずなんですけど〜〜f^^;;))は、また日をあらためて、綴ってみたいと思います。

でも、この体験、こうして書いてみたことはこれまでなかったので、これはこれで、良かったかな。
posted by coach_izumi at 22:48| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと

2020年03月14日

トイレットペーパーがなくなる恐怖(分かる〜!)その1

トイレットペーパーがなくなる恐怖。分かる。
だって体験したことあるもん。
でも、そのとき私にパラダイムシフトが起きたのであった。
(パラダイムシフトについてはその2に記述。)
ふと思い出したので、5年前に書いた記事を以下再掲。


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タイトル:私が絶対にできないと思ったこと(1)

絶対にできない!と思ったり、ものすごぉ〜〜〜く抵抗感のあること、って、ありませんか?そして、やってみると、な〜んだ、たいしたことないじゃん!どころか、逆にやってよかったじゃ〜ん!って思ったりしたことありませんか?

それは私がかつて東南アジアのとある国に住んでいた女友達を訪ねて行ったときのこと。彼女は彼の地で出逢った彼氏と一緒に、その国の首都から車で1〜2時間ほど離れた山の上の集落に住んでいました。夏休みを利用してその友人を訪ねることになった私は、メールで諸々の打ち合わせ(飛行機の到着時間とか)をしたのですが、その中で確かこんなことを書いたのです。

「あなたが愛する国の文化を尊重する気持ちはいっぱいあるの・・・でも・・・でも、お願い、トイレットペーパーは、買っておいて〜〜!!」

そう、その国ではふつ〜の人はふつ〜に手を使って用を足すのがふつ〜。日本語どころか英語もほとんど使わないで暮らしていた友人はすっかりローカルな暮らしになじんでいたので、“トイレットペーパーなんて”「使わないよ。誰も使わないもん(で、何か?)」と、ふつ〜にのたまう。

観光客が出入りしそうなところとか高級ホテルであればまた別ですが、そう、使わないのが、ふつ〜なの。

世界中でトイレットペーパーなんてものを使って用を足す人たちって実はとってもわずか。素手で用を足す人々の方がよっぽど多い。それがふつ〜。

分かってる、分かってるけど。

・ ・・無理!そ、それは、無理!・・・・も〜、絶対、無理〜〜!!

と、私は思ったのでした。だって、無理でしょ?お○っことかう○ことか、手で拭くとか、あり得ない。他の何ができても、それはできない。無理です。私は無理です。できません。ごめんなさい。

だからそれを正直に彼女に告白。トイレットペーパー持参で渡航、っていうのも考えたけど、友人へ色々おみやげも持って行きたかったし、なんてったってかさばるもの。

友人は「和泉ちゃん用のトイレットペーパー、買って、待ってるよ〜」と嬉しい返事をくれたのでした。


そして到着〜〜。

初めて訪れた国だったし、久しぶりの友人との再会だったし、空港まで友人と一緒に迎えてきてくれた友人の彼氏さんは、もう、すんごくいい人だし、なにもかもが珍しくて楽しくておいしくて、私は好奇心爆発。なんでも試してなんでも食べたのです。

そして二日目の夜。明日は山に登ろうね!(今思えば、何故山に登るの?って感じだけど。笑)という計画にわくわくしながら床についた私。

と。

ヴヴ・・・・むかむか、むかむか、ヴヴ・・・・
そう、激しい嘔吐が始まったのです。何回も。
そしてそして、あれ、あれ、あれえええ、うわああ。
嘔吐に苦しむ私を襲ったのが、「人生最悪」の下痢でした。

その旅行の前にも後にも、日本で胃腸炎とか体験したことあるし、それはそれで、大変だったけど。もう、なんちゅうの、パワーとスピードがやっぱり国際レベルというか。国内レベルの比じゃないとでも言うか。も〜、まったく桁違い〜。

ほとんどトイレで寝た方がいいだろう、って感じだったんだけど、ついでに発熱もしてるから、やっぱり横になりたい。で、一瞬横になって、またトイレに行く・・・という、もう、ほぼ「お百度参り」状態。夜明けまで何度も何度も寝床とトイレを往復しました。

嘔吐の方が先におさまったのですが、下痢は相変わらず続いて、ついでに熱が出てふらふら。そして、そんな私にさらなる悲劇が襲いかかろうとしていました。

それはカラカラと軽やかなそして乾いた音を立てて、どんどん痩せていく、トイレットペーパー・・・・

トイレットペーパー、その国で買うと、値段が高いんです。そんな貴重品を私だけのために、友人カップルは、山のふもとの町まで出かけて買っておいてくれていたのです。

そう、一個だけ。

(その友人宅には確か3〜4泊の滞在だったんで、普通は1個で足りますよね)。

お百度参りのその一回を踏むたびに、なくなってゆく私のトイレットペーパー。そして下痢は一向に収まる気配なし。顔面蒼白とはあの時の私の顔のことだと思います。てか、嘔吐して下痢してるからすでに十分顔色悪かったと思うんだけど。

う、わ〜〜〜〜。
ど〜しよ〜〜〜。

私を歓迎してあちこち連れて回ってくれた友人はぐっすり寝ている様子で起こしたくなかった、というのもあるけど、その友人宅は発展途上国の田舎の山の上。で今、夜中。まわりにトイレットペーパーなんてないし(ついでに言うと、その集落に住んでいた外国人は彼女だけだったと思う)、当然、コンビニなんてないし。ふもとの町までは車で行かないといけないし、ふもとの町も十分田舎なんで、店開いているわけないし。

トイレットペーパー、どう考えても朝までには入手不可能。

わたし、ほんっと〜に真っ青だったと思います(いや、だから顔色は十分すでに悪いんだけどね)。

うわ〜〜〜〜〜、どお〜〜〜、しよ〜〜〜。
紙が、もう、ない〜〜〜〜!!!

(長くなってしまっているので、「次回に続く」)




posted by coach_izumi at 11:02| Food for Thoughtー感じたこと思ったこと

2019年12月29日

父が死んだ時のこと

父の正確な命日は分からない。
父は自宅で一人で死んだからだ。

近所に住む父のいとこの一人が毎週土曜日に父の様子を見に父を訪ねてくれていた。そして年末が迫った土曜日にいつものように父を訪ねてくれた。その翌日の日曜日に「なんだか嫌な予感がした」からと家に行ってくれて、父が居間の床に寝た状態で亡くなっているのを見つけてくれた。

明後日には家族で北海道に帰省しようとゆっくり過ごしていた年末の日曜日の午後、その父のいとこから私の携帯に電話があって知らせを受けて、すぐに飛行機のチケットを取って千歳に飛んだ。最初は無理かなと思ったが、奇跡的に、夜中近くにはなったが当日中に父が一人で住んでいた実家に到着することができた。

第一報を受けた時の正直な気持ちは、ホッとした、だったと思う。癌を患っていたが、頑として病院にも行かず在宅ケアも受けず熊本に住んでいた私のところに来るなんて論外、だった父はアルコールに依存するようになっていた不良病人だった。父自身については、心配は心配だったがもう本人がしたいようにしてくれればいいとは思っていた。だが、他の人を巻き込んだトラルブを起こさないかとそちらの方が心配で、気が気でなかった。だから、一人でただ死んだ、ということにホッとした。ああ、終わったんだな、と思って、体の力が抜けたような感覚を覚えた。

実家に到着すると、父と兄弟のように育った、電話をくれた父のいとことその兄弟たちが父のそばにいてくれた。私はなんとなく、病院で亡くなった母を家に連れて帰ってきたすぐ後の時のように、父が病院のパジャマを着て普通の布団に寝ているんだろうと思っていた(病院にはいなかったのに)。でも、父がいる部屋に行って私が見た光景は全く違った。

父のいとこたちが全てを手配してくれて、父は葬儀屋さんが準備してくれた綺麗な掛け布団をかけられていて、その上にはやっぱり綺麗な袈裟のような布がかかっていた。その上にはご丁寧に懐剣まで置いてあった(入れ物だけで、本当の剣は入ってないが)。父の横にはお線香が立てられていて、父の顔には白い四角い布がかかっていた。

なにこれ。まるで死んだ人みたいじゃん。と私は思った(死んでいるんだが)。
なに、お父さん、なに、死んだ人みたいになっちゃってんの?(だから死んでいるのである)と頭の中で叫んだ。

そのまるで葬儀屋のパンフレットみたいに綺麗に整えられたすっかり出来上がった光景に、私は衝撃を受けた。お父さんが死んじゃった、と思った(だから死んでるんだって)。そして私は、まるで下手な芝居のように、その場で膝から崩れ落ちて、堰を切ったように、父の横で号泣し始めた。なんで、なんで、と、実際に絞り出すように言葉にしていたような気がするが、頭の中だけで言っていたような気もするし、定かではない。いずれにせよ、なんで、なんで、と私は何度も言った。なんで勝手に一人で死んじゃってるわけ。なんであと二日待てないわけ。なんで、なんで。

そして、ばっかじゃないの、と思った。実際に口に出して言ったかもしれない。ばっかじゃないの、最期まで意地はって。ばっかじゃないの、私に会いたかったでしょうに。ばっかじゃないの、こんな死に方して。ばっかじゃないの、なんでもうっちょとだけ待てないかな。ばっかじゃないの。(死んだばかりでいきなりたった一人の実の娘に罵倒される父も気の毒なことであった。)

嗚咽が止まらなかった。私は慟哭し続けた。朝まで大声で泣き続けられるような気がした。

全く泣き止まない私を見かねてか(そばにいた父のいとこ達も困っていただろうし)、夫が、「お父さんに会ってあげないと」と、父の顔の上の白い布を取るように私に促した。ほっておいて、私はただこのまま泣いていたいんだ、死んだお父さんの顔なんて見たくないよ、見たらほんとに死んだことになっちゃうじゃない(だから死んでるし)、とちらりと思ったような気がするが、さすがに言われるままに布を取った。現れた父の顔は痩せてて強張ってて、私は、なにこれ、と思った。こんなのお父さんじゃないよ、と。だから私はまたすぐに白い布を父の顔にかけた。

父のいとこたちたちが帰って、まだ小さかった息子を寝かせたあと、夫がお父さんと飲もうか、と言ってくれた。

肝臓癌を患っていた父にアルコールは厳禁だったが、母が死んで3年の間にすっかりアルコールに依存するようになっていた。いくら止めてもやめるわけもなかったので、だったらもう最後のお正月かもしれないんだしどうせ飲むなら美味しいお酒を持って行ってあげようかと考えて、結構いいお酒を買って準備していた。急な帰省とはなったが、私はそれを忘れずに持ってきていた。ティッシュにお酒を湿らせて父の唇を湿らせてお酒をあげて、そのあと夫と二人で小さなグラスで乾杯して父と一緒にお酒を飲んだ。夫と何を話したか覚えてないが、その時間で少し慰められたような気がした。

母の時には行った納棺の儀は、父の時にはしなかった(実家のある地域ではするのが一般的だった)。なんだかする気になれなかった。通夜を済ませ葬儀を済ませ、年が明けて、父と一緒に食べようと注文しておいたおせち料理を夫と息子と実家で食べた。そのあとすぐに夫と息子には夫の実家に行ってもらって、私は初七日までとそのあと数日を一人で実家で過ごした。

年末年始に当たったので諸々の手続きのために関係各所に行くこともできなかったので、昼間は実家の片付けをして過ごした。家は処分しなければならなかったから、写真を含めたたくさんのものを整理して処分した。夜は年末年始のくだらないテレビをぼーっと見て過ごした。お正月休みが終わったあとは市役所に行ったり銀行に行ったりする道を歩きながら北海道の冬は寒いなーとつくづく思った。晴れた日もあったはずだが、その時のことを振り返ると、どんよりとした空しか思い出せない。

熊本に帰らないといけない日が迫ってきて、さあ父のお骨をどうしようかと思った。四十九日の納骨の日までは、家の祭壇にお骨を置いておくのが私の実家の地域での習慣だった。抱えて帰ってまた四十九日の時に持ってこようかなー、と考えていたが、父を見つけてくれた件のいとこが「まさか飛行機に持って乗るわけにも行かないだろから、置いていけ。かわいそうだけど。ちゃんとお線香をあげに来るから」と言ってくれた。誰もいない家にお骨を一ヶ月以上も置いておくって、ありえない、と感じる人は世間には多いのではないかと思うが、船山家とその親戚は、こういう、合理的なところがあった。そのいとこがそう言ってくれるならと、私はそうすることにした。そう、骨壷に、父がいるわけではないのだから。

熊本に帰って、福岡に単身赴任していた夫も福岡に行って、普段の生活を再開させる日がきた。年明けの初出勤だ。基本的にワンオペ育児をしていた私は就学前の息子を寝かしつける時に一緒に寝て、朝の3時とか4時に起きて、家で仕事をして、息子を通常よりも早い時間に保育園に預けて職場に行くという生活をしていた。その日も同じようにして、朝7時半頃に勤務先の大学に到着した。

北海道ほどではないにしても、1月の寒い朝だった。少しもやがかかっていたような記憶がある。いつもの駐車場に車を停めて車から降りた私はなんとなく暗い気持ちでいた。重く感じる体を引きずって自分の研究室があった建物に向かおうとしたその時、私がいた場所から10mほど離れた別の建物の外から中に続く階段の手すりのような所で一匹の猫が座っていて、こちらを見ていることに気がついた。

その猫は、ちょっと体がデブっとしていて、体に縞のようは斑点のような模様が合って、ちょっと薄汚れてふてぶてしい感じで、私は、なんかちょっとお父さんみたいだな、と思った(父の名誉のために言うと、別に父が薄汚れた感じの人間だった訳ではないのだが)。

猫は、私が駐車場に来る前からそこにいてずっと私を見ていたんだろうと思わせるほどに、微動だにせず、そこにいて、私をじっと見ていた。見ているように感じた。私も猫を見返した。私たちは、しばし見つめ合っていた、と思う。

「お父さん?」

お父さんだったりして。お父さんならいいのにな。そう思ってそんな風に声をかけてしまったのは、猫という動物が私にとってはちょっと不思議な存在だったからだと思う。するとその猫が、ぎゃおおおおおん、ぎゃおおおおん、と、さきほどからの姿勢を全く変えることなく、威嚇するかのように、怒っているかのよう数度鳴いて、その鳴き声はまだ誰もいないもやのかかったキャンパスに響き渡った。

私はまるで 父に、もしくは猫に、「しっかりしろ」と言われているような気がした。その鳴き声の激しさに驚いたものの、私は思わず「お父さん、私、大丈夫だから。頑張るよ。頑張るから」とその猫に向かって叫んだ。

そのあと猫に背を向けて研究室がある建物に私は向かったが、その私を猫はじっと見送っていたように感じた。

それから数度、同じ時間帯に同じ駐車場に車を停めた冬の朝に、同じ猫と会った。猫は毎回同じ場所にいて同じように私を見ていたが、熊本に早い春が来る頃にはいつの間にいなくなって、その後その猫を見かけることは2度となかった。







posted by coach_izumi at 14:45| Slices of My Lifeー徒然ノート