2019年02月02日

学校で起こったある事件

息子が行く予定の高校(私立を受験して行かない限りは、居住学区には中学も高校も一つしかないので、皆同じ高校に行く)で起こった事件に関してのメールが昨日届いた。図書館の椅子にナチスの紋章の鉤十字(ユダヤ人の人たちに対する差別/憎しみのシンボル)が書いてあったのだとか。

私はユダヤ系の人間ではないけど、いやーな気持ちがすると同時に、泣きたい気持ちになった。自分たちだっていつでもこういうことのターゲットになり得るのだと思うと同時に、同じメールを見ているはずの息子のユダヤ系の友人そして私の友人はどんな気持ちがするのだろうと想像することしかできない。そして彼らはずっとこういう差別や憎しみに、顕在的にしろ潜在的にしろ、晒されて生きてきた人たちなんだなー、などと思う(日本でもそういう人たちはいますよね)と、暗い気持ちになるというよりは、その(コミュニティーの)たくましさのようなものに尊敬の気持ちを抱ざるを得ない。

救いは学校/学区がすぐに対応しこのことを重大な事件として扱う姿勢を見せて、学区の保護者にすぐに一斉にメールを出して、事件の直後の報告とこういうことは許されるべきないこと、犯人を探しているので協力を呼びかけていること、それらのことについて子供達と話をして欲しい、となどという内容のメッセージが届いたこと。
先日、具体的なトピックは忘れたけど、大統領肝いりの何かの政策の話を家族でしていた時、息子がジョーダンぽく、「僕たちは今こういう場所で生きているんだよー」と芝居めかして言って、私と夫にグループ・ハグを求めてきた。珍しいことだった。

普段は学校のことなんて聞いても「よかったー」「まあまあー」「(質問に答えるのが)面倒臭い」しか言わない顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)息子であるが、「アメリカをまた偉大にしよう」ロゴの入ったTシャツを着たグループの子供達がいるんだよねー、なんだかなー、などと言ったりすることもこれまであった。「X(仲の良い友達の名前)は学校に銃を持ち込むことを許可するべきだって言うんだけど、どうしてなんだろなー 僕は絶対嫌だ」とかそういうことを言うこともあった。アメリカの公立校では毎朝必ず行われる「忠誠の誓い」についても、彼は彼なりの視点を持っていることがこの間話してる中で分かって、ちょっとびっくりした。

思春期の子供らしく通常は親にあまり自分のことを話さない息子のそんな言動を見ても、彼なりにいろんなことを感じつつ、学校生活を送ってるんだなーと思う。

幸い息子は友人にも恵まれ、概ね楽しげな学校生活を送ってはいるが、日本であのまま暮らして13歳になっていたら、絶対に経験しなくても済んだであろう類の出来事を経験し、それに伴って、考えなくても済んだであろことを考え、感じなくても済んだであろう感情の揺れを経験している。そして彼は多分(多分)、「今のこのアメリカで」自分は何者かそして何者でありたいか、ということについて、まだぼんやりとではあると思うけど、13歳のアタマとココロで思いを巡らし(それほど深刻でも頻繁でもないと思うけど。笑)葛藤している。そのことが、結果的に、彼の想像量力と創造力を培い、彼をたくましくしてくれるものとなってくれるといいんだけ、と、願う母であります。

まー 見守るしかできないけどね。
posted by coach_izumi at 05:39| アメリカの生活

2019年01月22日

大寒波襲来、分厚い氷に遮られてCul-de-sacを知る、の巻

アメリカに暮らして合計はや15年。未だに分からない単語というのは山のようにあり、でも、大抵の場合はスルーしても大きな問題はなく暮らせる程度の語彙力はあると思う(小さな問題は常に山のようにあるが)。そして家の前の「ロータリー」をrotaryとは言わなくて、コダサックとかなんとかいうらしいというところまでほとんど噂レベルでわかってても、私、耳から単語を覚えられない昭和の日本人なので、その単語を再生できずスペルも分からず、でも、これまでなんの問題もなかった。

が、雪ー雨ー大寒波(今日は一日中零下10度以下てか多分ほとんど零下20度に迫るレベル)という気象条件が重なって、雪が溶けて家の前のロータリー(公道)に張った氷が分厚くて危なくてでも個人でどうしようもできないレベル。だからなんとかしてくれない?とコミュニティーの管理事務所にお願いしたい時、さて困るのである。(今日は学校はお休みだけど、息子を歯医者に連れてかないといけない。)息子に聞けばそれらしき単語を言うものの、だから耳からの情報だけじゃ繰り返せないからスペルが知りたいのと言うと「口頭でしか分かんない」とほざく。じゃあSiriに言ってみたら、スペル教えてくれるんじゃない?と息子に言わせてみれば、Siriってば「それは面白い質問だね」とか全く見当違いの回答。電話してリクエストしないといけないから、それじゃー困るの。私、耳で聞いただけの単語、繰り返せないの。LとR、区別つかないんだから!(あ、これはLもRもないのか?)
で、なんとなく、Cで始まるのかなーと思って、検索したら、出た〜!

cul-de-sac

ウエブスターによると、 意味はa street or passage closed at one end だって。
な、なんだよ。これ、英語じゃないじゃん??(そしてLが入ってんじゃん!)おまけに、「ロータリー」の概念と違うじゃん??どーりで全然分からないはずだよ。

とにかく、よし、これなら発音できそう、と思ってドキドキしながら電話。コルデサックのアイスが分厚くて危なくて車を出す時もスリップしそうだから(ちょっと降り坂になってると所をバックで出して切返さないといけないから)ゲットリッドオブして欲しいんだけど〜、と管理事務所のお姉さんにお尋ね/要望。そしたらなんと業者をよこしてくれるとういこと!(まあいつになるか謎だけど)。

もーほんとんど、今年初のアチーブメントである。
よくやった自分、えらい!

夫にcul-de-sacの氷の除去のお願い完了!とテキストでこれ見よがしに覚えたばかりの単語を入れたのは言うまでもない(彼もコルデなんとかって言うんだけど、なんて言うんだろ〜、とそのままにして会社行っちゃったんで)。
posted by coach_izumi at 00:38| アメリカの生活

2019年01月16日

年の初めに感じる、茶の湯の喜び

先日、新年の初めに、大変お世話になっている先生のお宅での初釜にお招きいただきました。炭手前、濃茶、薄茶、縁高に盛り付けられたランチ、そして初釜らしいお道具。そしてお菓子!(イノシシの主菓子が可愛すぎて、皆「食べられな〜い」と嬉しい悲鳴。笑)全てが美しくて素敵で美味しくて(笑)大変楽しませていただきました。

釜の鳴る音を聴き釜から出る湯気を見つめつつ、ご亭主がゆったりとお濃茶を練られる様子を眺めながら、ああ、お茶ってやっぱりいいなあ、とつくづくとしみじみと感じました。

そして今年2番目の初釜は、茶の湯クラスの講師をしているマンハッタンの日本クラブでした。これが日本クラブのクラスの初稽古でもあります。私は今年は薄茶のお点前を担当しました。

一緒に講師をしている姉弟子が自宅で作ったご馳走をマンハッタンまで運んで来てくれました。和やかで楽しい会となりました。

茶の湯には色々な面があります。道楽と言えば道楽ですし、一方、「茶道」という言葉の「道」という文字に表れているようにザ・修行な部分もあって(長時間の正座とか?笑)、茶禅一味という言葉もあるように禅と深く結びついているし、でも、壮大な(ごっこ遊びの)オママゴトとしか思えないところもある。最近はやりのマインドフルネスの部分があれば、(ドロドロとした人間関係を含む。笑)社交の部分もあり、心が大事かと言えば、道具に魂が宿ると言う。お点前が大事だと言う人がいれば手前にばかり拘るな言う人もいる。一見精神性が高くて優雅(なだけ)かと思いきや、バックステージは鬼の部活ですか^^;?というほどの体力勝負だったりする。歴史だ伝統だと重んじるところもあれば、本来茶の湯はアバンギャルドなものであると言う人もいる。形が大事だと言いつつ、合理的で実質的だと言う。

どの面により心惹かれるかは人それぞれだと思いますが、私は実は茶の湯がこのように(私にとっては)多面性を有している、ということそのものをこよなく愛してます。

茶の湯の世界はとんでもなく広くて、深くて、一生かかっても達人にはなれないと常に思い知る。そのことは軽い絶望感とともに潤沢な喜びで満たされることでもあります。この喜びを知ると知らないとでは、私の人生、全然違う、と思えるほどです。

心がざわついた時は(そして、そうではない時も)、特にきちんとしたお点前をしなくても、その時の気持ちにふさわしい抹茶茶椀を(手持ちの中から。笑)選んで一人静かにお茶を点てます。一人で抹茶を飲む時は何かをしながらではなくて、必ず抹茶を味わって飲むとことだけをします(あ、お菓子も食べることがかなり多いですが!笑)。一時耐久性に走って自宅で点てる時は樹脂の茶筅を使っていたのですが(苦笑)、茶筅を振る時に立つ音が(そしてその感触も)、やっぱり竹じゃないと気持ちよくないなー、と思って、竹に戻しました。シャ、シャ、と茶筅が気持ち良い音をたてるのを聞くと(とは言え、綺麗な音を立てるのは簡単ではないのですが)、自分の世界が静寂に満たされていきます。

両手で抱えたお茶碗の中に揺れる美しい緑のお抹茶をぼーっと眺めていると、そこには、その時の「自分」が映るような気がします。そこに映っているのがどんな自分であれ、それをゆっくりと飲み干すと、その美味しさと温かさに喜びを感じてゆっくりとした気持ちなります。良いことがあっても、悪いことがあっても、お茶を味わう時間が、いつも変わらずそこにあります。

自分に、こういうことがあって良かった。
ほんの端っこだけしかまだ体験できていないけど、こういう世界を知っていて良かった。
心から思います。


posted by coach_izumi at 04:44| Slices of My Lifeー徒然ノート