2019年03月21日

それは子供じゃなくて親の責任だと思う

自分の母親との関係が苦しい、その葛藤を抱える女性が多くて、それは子供の頃の親子関係に起因している場合がとても多い。

ということを、公私の経験を通じて最近よく感じます。
プライバシーに関わることなので個々のケースについてこれ以上のことをこの場で書くつもりはないのですが、
そういうお話を聞いて、聞いて、聞いて、聞くほどに、
すぐに具体的に私が何かできるわけではないんだなあ、ということを痛感することがほとんどです。
特に私自身は母親との関係が概ね良好だったと思うので、そういう方の気持ちに真に寄り添うことも
できないのだろうと想像するので、余計そうです。
(まー人間同士だからそれなりに色々あったにしろ、
概ね良好だったと思いますし、それがすごく珍しいことだったんじゃないかとすら感じる今日この頃です。)

ただ一つ、私が言えることとして、お話を聞いた最後にお伝えるすことが多いのが、

「親と子供の間で何か問題があった時、その責任は、子供じゃなくて親にあるんだと思う」
*子供がまだ「子供」と呼ばれる年齢であった場合

ということです。
これは一人の親としての私の体験・実感でもあります。

親には親の苦しみも葛藤もある。だから「親が悪かった」と一概には言えない場合もある。それは一人の親として私も実感するところです。親子間の問題は親子だけの問題ではない様々な要素が関わる「社会問題」でもあるので、あくまで子供と親の二者を比べた場合に、ということです。だからこれは「親として葛藤して苦しんでいる」人に向けてのものではなく、「子として葛藤して苦しんできた(そして今も葛藤して苦しんでいる)」人に対しての私の言葉である、ということは特記しておきたいのですが。

でも、何にせよ、何れにせよ、子供には「何の責任もない」ですよね。

だってあなたは、子供だったのだから。親の庇護のもとあるいは支配のもとにいた、
親に愛されたい認められたいと当たり前に願った、子供だったのだから。
あなたには、何の責任もない。全く、あなたの、せいじゃない。

いろんな話を聞いてきましたが、親子関係に恵まれてきた(と思う)私にはそういう葛藤や苦しみは
本当にはわからないと思います。でも、だからこそ、てらいなく言えるのだと思います。
「子供だったあなたには責任ないでしょ。親の責任でしょ。当たり前じゃん」と。

そしてこの私の、「そんなのあったりまえジャーン」的な言葉に、
「そう言ってもらえてホッとした」と言ってくれる人が、思いのほか多くて、実はちょっとびっくりしてます。
「私(の性格や言い方や接し方など)が悪いんだと思い込んでいたから、ホッとした」と。

え、あなたじゃないよ、親だよ。だってあなたは子供だった。親は大人でしょ。
そんな「あったりまえジャーン」なことが、当たり前じゃなかったんだな、当たり前じゃない人、いっぱいいるんだな、と思う今日この頃なのです。

あなたがどんな子供であったにしろ、彼女がどんな母親であったにしろ(どんな状況であったにしろ)、
それは、子供であったあなたの責任ではない。昔も、今も。








posted by coach_izumi at 00:35| Words of the Dayー今日の言葉

2019年03月20日

アメリカよ、私の名前を言ってくれ(NY TIMESの記事のご紹介)

例えば夫の名前と比べてみても、英語話者にとってイズミという名前を発音することはそれほど難しくはないらしく、たいていの人は私の名前をちゃんと言える(ようになる)(まー、それがイズーミー、みたいにはなるけど)。初めて私の名前を聞いた人に「わー 綺麗な名前だね」とお世辞じゃない感じで言われたことがこれまで何回かあって、へー、そうなんだーとびっくりしたけどもちろん嬉しかった、そんな経験もある。

さらにビックリするのは、息子がサッカーの試合に出てると、息子のチームメイトの親が息子の名前をちゃんと発音して呼んで息子/チームを応援してること。へー、うちの息子の名前、結構長いのに、すごーい、って思う。実は私は未だにあれ、あの子の名前なんだったっけ?なんて思ってるチームメイトの子供がいたりするのに(すみません)。だから、名前に関してアメリカであんまりネガティブな経験はない(まー エピソードはあるけどねー)。

でも、このベトナム系アメリカ人の彼が書いてること、分かる。英語ですが、なかなか面白い記事だと思う&読みやすいと思うので、ご興味があれば。

https://www.nytimes.com/2019/03/09/opinion/sunday/immigrants-refugees-names-nguyen.html?action=click&module=Opinion&pgtype=Homepage&fbclid=IwAR3JdM_Xh1k8RAik8xHQaSyLP7wCH9ami6lsm-Za9RqD820ixA0MxDFZKnY
posted by coach_izumi at 23:52| アメリカの生活

2019年02月20日

おっちょこちょいと呼ばれて半世紀

ニューヨークで働いていた(今も働いてるけど)夫を日本から訪ねたあと日本への帰国便に乗る時、ニューアーク空港とJFK空港を間違えた時、夫は呆れて言葉も出ないという様子ながらも「ありえないよ ありえないよ」と心底信じがたいと言う様子で、ただ繰り返していた。ごめんなさいと謝りながらも「でもまあ、なんとかアレンジできて日本に帰れそうだからよかったじゃん」と思っていた。心の中で。

オハイオ大学に留学してた時にやかんを火にかけっぱなしにして学校に行ってしまって帰ってきたらやかんは大変なことになっていて(当たり前だ)。ただ、幸いにも、被害はやかんだけだった。その時のルームメイトに「いやいや、火事にならなくってよかった。私ってやっぱり何かに守られているのかな?」とその時思ったことを正直に口に出したら「何バカなこと言ってんだ、どんなに大変なことしたか分かってるのか」とひどい剣幕で怒られた(その通りです。今はもっと大人になったので、火だけは気をつけるようにしてます。はい)。そしてそのルームメイトは私がどんなに危ないことをしでかして、それなのにその重大性がわかっていないとんでもないだけじゃなく自分が守られてるとかめでたいことを言うバカな人間だと言うことを、友人たちにまくし立てた(今は本当にその通りだと思います、はい)。でもその時は、「他は何にもなかったのにそんなに怒らんでもいいやーん・・・」と思っていた。実は。

大学院時代の親友に、よく、「和泉ちゃん、また自分を褒めてる」と言われた。さらに「そんなひどい失敗をして、どうしてまた何もなかったようにフレッシュな気持ちになれるの」と本気で不思議がられた。ちなみに彼女は、私が「人間って愚かだよねー」と呟いた時「愚かなのは和泉ちゃん。人間全部に広げちゃいかん」とのたまった才女であります。正直で率直な友人は貴重である。

そして先日、私は、日本語の語彙クイズを受けていた学生が「先生、指定した範囲と違うところがクイズに出てませんか?勉強してきたのと違う単語が問題に出てます」と訴えるのを「もー、ちゃんと勉強してないからだよー ちゃんと言ったでしょー」などと思ってあまり真剣に取り合わなかった。最初は。

そして気がついた。

げ。

違う教科書のクイズ出してた。(いろんな教科書があるので、その時々の学生の能力に応じて使い分けてるのである。)

その日のクイズで良い点を取ろうと思って一生懸命勉強してきた学生に、心から平謝りしました。そして「船山先生はおっちょこちょいです」というセンテンスを教えました。でも今はあんまり「おっちょこちょい」って言わないかも、と一応言っておきました。ところで今「おっちょこちょい」は何と言うんだろう。

そういえば、大学時代の友達に「財布をこれまで3回無くしたことがある。傘はしょっちゅう乗り物に忘れる」と言う話をしたら、「私は一度も財布や傘を無くしたことがない。財布をなくすなんてしたら、ショックでもう立ち直れないと思う。ふなさん強いね」と言われて、えー いやー違うんじゃないかなー顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗) と思ったものであった。そして私は絶対に傘を忘れないぞーと思っても忘れちゃうんだよーと話したら、その友達は「この間、バス降りた時、あ、傘忘れちゃった、と思ったら、自分でも気がつかないでちゃんと手に持ってたの」と言われた。その時に、これはもう、努力ではどうにもならない、と言うことではないにしろ、私が財布や傘をなくさないためにものすごい努力をしても、それでもなくすが、努力しなくても当たり前のように財布や傘をなくさない人間というがこの世の中にはいるのだという現実を思い知った。

だから私はーー自分を信用していないのでーー国際線に乗る時のパスポートとか忘れないようになくさなように、多分普通の人の10倍くらい気をつけてビクビクしながら、何とか国際線に乗ってます

posted by coach_izumi at 06:26| Slices of My Lifeー徒然ノート